川井:父親の泣く姿は胸を衝きますね。その時、「病気で足を失って悲しむ人がいなくなるように医者になろう」と誓ったんです。進学先は妹の足を奪った岡山大学医学部しか頭にありませんでした。大学を卒業して医局を選ぶ時にも、骨肉腫の治療ができる整形外科へ入局しました。ちょうどその頃、妹の手術をした先生が助教授をしておられたんですが、むこうにしてみたらなんだか敵討ちに来られたみたいで相当怖かったんではないかと思います。いい迷惑ですよね(笑)。
医師、そして患者家族の経験と『たんぽぽ』の会
鳥井:当時、肉腫はどんなイメージだったのでしょうか。
川井:その頃、ドラマなどでヒロインが亡くなるのは白血病か骨肉腫と決まっていました。当時の骨肉腫は切断しか治療法がなく、それだけの犠牲を払ってもほとんどの患者さんが亡くなってしまう“残酷な病気”の代表でした。そんな病気が大切な妹に降りかかってくるというのは、とても大きなショックでした。医療が進歩した今も、肉腫と診断された患者さん・家族が受けるショックは同じだと思います。
鳥井:先生は、『肉腫(サルコーマ)の患者会 たんぽぽ』にも積極的に関わっていますね。
川井:「たんぽぽ」には、できるだけのお手伝いをさせていただきたいと思っています。鳥井さんは「同世代のがん患者に何かできないか」という想いからオンコロに入り、私の場合は「足を切って悲しむ人をなくしたい」との気持ちで医師になりましたが、そのような一途な気持ちを、すべての患者会の皆さんはその根底に持っておられると感じています。皆さん、自分のつらい経験を通して、同じ病に苦しむ患者さんのために「何かをしたい」と思っています。「たんぽぽ」を応援させてもらっているのは、自分自身の患者家族としての経験も元になっているのかもしれません。
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今回は、川井先生が「なぜ、希少がんである肉腫の専門医を目指したのか」についてお話をうかがいました。第2回では「希少がんセンターの在り方」、情報発信として毎月行われている「『希少がん Meet the Expert』の意義」、希少がんとは切り離せない「AYA世代の問題」についてうかがいます。
川井 章
国立がん研究センター骨軟部腫瘍科長/希少がんセンター長
1961年生まれ、岡山育ち、岡山大学卒業。大学病院勤務、米国留学を経て2002年より国立がんセンター整形外科(現国立がん研究センター骨軟部腫瘍科)勤務。2015年より希少がんセンター長。
鳥井 大吾
軟部腫瘍体験者/がん情報サイト「オンコロ」Web担当
法政大学経済学部 卒業後Webマーケティング会社に入社。営業、SEO施策、Webサイト解析、制作ディレクション業務を行う。社会人2年目で軟部腫瘍に罹患するも治療を経て復職。2016年4月に自身のがん体験を活かすべく株式会社クリニカル・トライアルに転職。Webサイト運営を行う。
*本稿は、がん患者さん・ご家族、がん医療に関わる全ての方に対して、がんの臨床試験(治験)・臨床研究を含む有益ながん医療情報を一般の方々にもわかるような形で発信する情報サイト「オンコロ」の提供記事です。