トラベルヘルパーの実地訓練の様子(写真提供:SPIあ・える倶楽部、以下同)

 世界一の長寿国と言われる日本だが、日本人の健康寿命は短く、晩年期、男性は約9年、女性は約13年、自立した生活の困難な「要介護者」として過ごす。その数は630万人に達し、年々増加しつつある。

 そんな中、すべてを諦め、厄介者扱いされながら肩身の狭い最晩年を送る人たちがいることも、残念ながら事実である。そんな理不尽な現実に「待った!」をかけた人物がいる。「介護旅行」という、それまで世の中に存在しなかった事業分野を創出し“要介護高齢者に生き甲斐を創出している”「SPIあ・える倶楽部」代表取締役・篠塚恭一氏(56)だ。

 前編ではビジネスモデルや介護旅行参加者のビフォーアフターをご紹介した。後編では篠塚氏のこれまでの歩みと「東京五輪2020」に向けた壮大な試みをご紹介したい。

世界初「介護旅行」事業に社員離反

「SPIあ・える倶楽部」代表取締役・篠塚恭一氏

 もともと旅行系人材派遣会社で添乗員を務めていた篠塚氏。1988年にはカナダの高級山岳リゾートのバンフに赴任。ツアーガイドの仕事をしていたが、やがて帰国。1991年に、自ら旅行系人材派遣会社「SPIあ・える倶楽部」を創業した。

 91年といえばバブル崩壊と湾岸戦争で旅行業界が大打撃を受けた年でもあった。大手旅行会社との口座開設に苦しみ、金策に苦しみ続けること約3年。転機は突然訪れた。

「小料理屋で食事をしていた時のことです。近くの席に女性カメラマンがいたのですが、ある男性が彼女に話しかけているのが聞こえました。“フリーランスでやってゆくならば専門性がないとダメだ”と彼は言ったのです」