ドイツでは9月24日に連邦議会選挙の投票があります。
このようなタイミングで、珍しくミュンヘンやベルリンにいますので、私なりの遠近感ですがほかの記事にはない観点からドイツの政策などについて記してみたいと思います。
私なりの観点と言うのは、前回まで記した「大学」の「格付け評価」と「国際性」を「移民問題」さらには「イノベーション」との関連で考えてみたいと思うのです。
投資としての移民受け入れ
最初に、日本とドイツで最も異なっていると感じる点を1つ記してみましょう。
政治的難民が発生したとき、例えば「ボートピープルがやって来た」というようなとき、それを「拒否する」という市民感情が、全世界で普通に見られます。
2014年からの中東紛争で発生した難民については、米共和党政権のネガティブな対応のみならず、欧州でも、例えば2017年初にチャタムハウスが発表した調査結果など実に2人に1人がこれ以上の難民受け入れに反対という姿勢を示しています。
難民受け入れ反対の大半は低所得層、低教育層、高齢者・・・といった分析もあるようですが、実際、生活に不安を抱える人々にとっては、難民の流入は様々な意味で生活破壊の危機と恐れられ、忌避の感情が強い。
そのうえ、イスラム原理主義テロリストによる悪質なテロが定常的に発生するようになり、もちろん厳密な事前防止策が採られており、それに投入される官費もしゃれにならない金額に達しています。
それでもドイツが難民を受け入れてきた背景の1つに。これは「恩恵を施す」のではなく「社会的な投資である」という考え方があることを指摘しておきましょう。
ご存知のように、ドイツは1933年から45年に至るナチスドイツの政策により、欧州全体を破壊する人類史上最悪の惨禍をもたらし、その責任を厳しく追及されてきました。
そして戦後、ナチスのメンタリティからそうした右傾思想だけを取り除いた「モーレツ主義」が奏功して、人類史上最速最高の高度成長のダイナモの1つとして機能しました。
そのもう1つの片割れが日本にほかなりません。