シンガポール国立大「わいせつ新歓」が物議 模擬レイプなど強要か

シンガポールの金融街(2015年11月25日撮影)。(c)AFP/ROSLAN RAHMAN〔AFPBB News

 前々回 世界の大学ランキングに触れたところ、大変多くの方から反響をいただきました。

 率直に言って、この20年ほどの間に日本の大学はシンガポールや中国、香港などアジアの大学によって次々と追い抜かされて行きました。私は東京大学内の様々な国際担当の役割を務めながら、その様子を目の当たりにしてきました。

 別段、指をくわえて見ていたわけではありません。蓮実重彦総長、佐々木毅総長時代の東大では、私自身一定の役割を果たした自覚があります。

 小宮山宏教授が東京大学総長に就任する頃から、私は東大全学の外交を担当しなくなりました。

 ちなみに小宮山さんは個人的にも親しい先輩で、現在も私の研究室では彼が総長就任に当たって研究室を整理した際に譲ってもらったお古の什器を使っています。別の理由で2006年から2014年まで、私は大学全体の外交事案にコミットしませんでした。

 2015年、五神眞さんが総長に就任してから、また全学レベルの学術外交に関わるようになりましたが、私が離れていた9年ほどの間に、もしかすると日本の大学は、取り返しのつかない遅れを取ってしまったのかもしれません。

 そこで「一流の大学」とは何か、という基本的なポイントから改めて考えなおして見たいと思います。

なぜ東大・京大などは一流とされるのか?

 初めに素朴なクイズを出題してみます。

 日本では東京大学や京都大学が一流の大学、優れた最高学府だと考えられている。大きく言ってこれは外れないと思います。

 では、なぜ東大・京大は一流なのでしょうか?

 そんなの当たり前じゃないかとか言っていると、日本の大学が現在直面している万年二流化の危機に対処できません。

 「そこを卒業すると、いい就職ができるから」

 これは1つの答えになるかもしれません。でも、前々回に触れた「世界大学ランキング」の指標として「卒業生の就職先」という、なかなか数字で表しにくい話は、表に顔を出していません。