──1社の成功に安泰せず、次々に別の企業に関わっていった理由は何でしょうか。
石井 やはり、純粋な公益の追求者であり、「日本全体を良くしたい」と切実に願っていたからであると考えられます。そしてそれこそが、今の経営者に求められる姿勢だと思います。
──どういうことでしょうか。
石井 高度経済成長期や安定成長期、そしてバブル経済の頃は、日本の経済自体が伸びているので、自社の利益だけ考えていても成果が見込めたといえます。ただ、現在のように経済成長が頭打ちとなっている状況の中では、自社の利益だけを見ているのではなく、むしろ、他の企業と協力して、日本の経済そのものを良くしていかないといけません。そういった視点が必要になっています。
その中で、渋沢の開放的な経営、公益を追求した姿勢が参考になるはずです。
──彼は、まだまだ経済成長が見込めそうな戦前に、公益を追求していたんですものね。
石井 はい。過去の記録を見ても、地方にもかなり足を運んで、さまざまな企業の設立に携わっています。彼が支援した各地の鉄道会社なども、まさにその典型といえるでしょう。当時はまだ未知の産業であった鉄道会社の立ち上げに関わり、その他にも港湾、ガス、電気といったインフラに関連する企業にも多く関わりました。こうした渋沢の姿勢は、公益の追求そのものではないでしょうか。
また、彼は生涯で約600の社会事業にも携わりました。有名なものでは、社会福祉事業の先駆となった養育院(現・東京都健康長寿医療センター)の初代院長を務めたことが挙げられます。また、日本赤十字社の設立などにも関わりました。社会事業は、実業界を退いた後も、亡くなる前まで尽力したようです。
CSVの概念を、すでに戦前から実践していた?
──彼が公益の追求者である所以がよく分かりました。