モスル西部の空爆、民間防衛隊が住民らの遺体収容

イラク・モスル西部のジャディダ地区で、破壊された家屋のがれきの上に座る男性(2017年3月26日撮影)〔AFPBB News

新しい日

 ここイラクのクルド人たちは火によって春を迎える。ペルシャ叙事詩の「王の書」の物語にその起源がある。

 悪魔に憑りつかれ、両肩に殺しても再生する蛇を生やされたダッハークと呼ばれる暴君がいた。彼は2匹の蛇の餌として毎日2人の子供を犠牲にした。その邪悪さに太陽も姿を隠し、世界は闇に包まれた。

 この暴君を鍛冶屋のカワが打ち破り、火をくべて勝利を民に知らせたところ、闇の世界に光が戻ったとういう英雄譚だ。このカワの火がクルド人にとっての「ノウルーズ(新しい日)」の始まりである。

 イラクのクルド人地域では毎年3月21日、大小様々な松明に火を灯して新しい日の到来を祝福する。またノウルーズがある3月は、民族的機運が高まる月でもある。

 クルド民族蜂起記念日(1970年3月5日)、クルド自治地域協定締結記念日(1991年3月11日)、クルド独立運動の父ムスタファー・バルザーニーの誕生日(1903年3月14日)、毒ガス兵器により多数のクルド人が虐殺されたハラプチャの悲劇(1986年3月16日)、とクルドの歴史的民族闘争に関する祝日も多く、民族独立闘争における夜明けの月でもある。

 これまで、クルド人にとっての暴君ダッハークはサダム・フセインだった。そしてその後は領土問題、石油資源問題で対立が続くイラク中央政府がそれに変わり、さらに現在はあくまで一時的だがイスラム国(IS)がそれに代わっている。

 実は昨年のノウルーズは祝福の火が灯されなかった。イスラム国に拘束されていたクルド自治政府軍の兵士がノウルーズ直前に公開処刑され、政府は喪に服すために予定していた式典を中止したのだ。そのため、今年ノウルーズが祝われたのは久しぶりのことだ。

 2014年6月にイラク第2の都市モスルがイスラム国によって陥落してから2年9か月が経過し、イラクにおけるイスラム国との戦闘は終盤に差しかかっている。戦線はモスルの西岸部まで進んだ。

 戦闘を担っているのは主にイラク中央政府軍のみとなり、クルド自地政府軍はこれに介入していない。クルド自治政府としてはいったんその役目を終えたという安堵感もあるのか、今年のヌールーズの式典は各地で盛大に執り行われた。

 3日間のヌールーズ休暇中は民族衣装を纏い、山へピクニックに出かけるのがクルド人の習わしだ。街の中も祝賀ムードに包まれており、数十キロ先で激しい戦闘が続いているとは思えないほど穏やかである。

対イスラム国戦線最終段階、モスルの現在は

 クルド自治区とは対照的にモスルでの戦闘は激しさを増している。依然として40万人の市民が残っているとされる都市部での戦闘は多数の避難民や犠牲者を出しながら進められている。

 現在、クルド自治区でこうした避難民の医療支援を行っている我々のところにも支援を求める声が多く届いている。

 モスル西岸部に住んでいた男性は、空爆で家族を失い、本人も両足に深刻な負傷を負った。車椅子の上で激しく身を捩らせながら、「娘が3人死んだ。1歳と2歳半と14歳だった。大事な娘を亡くした。遺体はそこに残されたままだ」と泣いた。

 また、ある避難民は「モスルで終末を見た」と語った。

 3月24日モスル出身の政治家は軍事作戦によって数百人の市民が犠牲になっているため、即時作戦の中止と現行作戦の実施方法を見直すようイラク中央政府と連合国側に要請した。多くの市民は軍事作戦の進展を喜んでいるが、それは同時に多くの悲しみも生起させている。