「認知症の中にある幸せ」を垣間見て
私は医学生時代に、そして医師になってからも、重度の認知症の人々と接するたびにその悲惨さや壮絶さを目の当たりにしてきました。
自分がいる場所が分からず、時には自分のことを10代の娘だと思い、徘徊し、失禁し、便を弄び、叫ぶ姿。その認知症老人に振り回される家族たち・・・。
しかし医師として働くなかで、認知症に対する見方が少しずつ変わってきました。その理由は、「認知症の中にある幸せ」を何回も目にしてきたからです。
そもそも認知症とは何なのか?
ICD-10という国際的な分類では、認知症は「通常、慢性あるいは進行性の脳疾患によって生じ、記憶、思考、見当識、理解、計算、学習、言語、判断等多数の高次脳機能の障害からなる症候群」と定義されています。
認知症では様々な症状が見られるのですが、その中でも「記憶力の低下」と「見当識の低下」はとても特徴的です。「見当識」とは、時間と場所に関する感覚を意味します。見当識が低下すると、年月日や自分が今いる場所が分からなくなってしまいます。
認知症の方はこれらの能力の低下が原因で、もの忘れをしたり、食事を食べたこと自体を忘れたり、近所で道に迷ってしまったり、財布を置いた場所が分からなくなり家族が盗んだと妄想したり、「自分は今10代の娘だ」と思ってしまったりするのです。
認知症の人々が抱える不安
認知症の人が怒ったり、暴力をふるったりする姿を見て、「こんなにわけが分からない行為をするなんて、認知症とはなんて恐ろしい病気なのだろう」と思う人も多いかと思います。
しかし認知症の人の状況に少し想像力を働かせてみると、彼らへの理解も少し進んでいきます。
もし自分がしばらく目隠しをされて、突然知らない大部屋に連れて行かれたらどう思うでしょうか?
周りには知らない老人たちが、椅子に座ってテレビを見ていたり、本を読んだり、会話をしています。目隠しをされていた時間も分からず、もしかしたら数時間かもしれないですし、あるいは数日経ってしまっているかもしれません。