おりしも、日本政府として国内の中小企業の海外展開を後押しする気運が高まりつつあったことから、同社は2013年~14年3月、新たに外務省で始まったばかりの案件化調査事業を受注し、イラワジ川で吃水の低い軽量の台船を活用した内陸水運の事業化に向けた調査を実施した。
さらに2015年2月からは、JICAの普及・実証事業の一環として、ヤンゴン市内にある国営の造船所において、水深が1~2メートル程度の浅い河川でも運航可能な吃水60センチ程度の台船を7カ月かけて建造。さらに、実際にコンテナを搭載し、乾期と雨期の2度にわたりヤンゴンからマンダレーまでイラワジ川を航行して成功を収めた。
冒頭の荷役作業は、ヤンゴンでWFPから請け負った食糧やオイルをマンダレー経由でパコック港まで運んだ後の、荷下ろし作業の1コマだ。
「公務員」転じて「海の男」へ
実は、パコック港に到着する2日前、ちょっとした、いや、かなり大きなハプニングがあった。
ヤンゴンの飲料水メーカーから預かったペットボトル2000本をマンダレー港で午前中に下ろし、夕方にはパコック港に向けて出航する予定だったにもかかわらず、荷主のトラックが受け取りに現れなかったのだ。
スタッフが慌てて運転手に電話をした結果、トラック会社の調整不足であることが判明。結局、その日は荷を下ろせず、出航を1日遅らさざるを得なかった。
実は、3月の乾期の時にも似たようなことがあった。午前中に来るはずのトラックが現れたのは、夕方になってからだったという。
約束の日時に荷物を受け取らないと、航行の全体スケジュールがずれる。出航が1日遅れると、ヤンゴンに戻るまでに3日、4日と遅れが重なり、次の仕事にも影響が出かねない。
だが、驚いたことに、武司氏はこの日、やきもきするスタッフを前に「彼らは今回、顧客ではなく、われわれの実証試験に協力してもらっている立場。調整不足は日本でもあるし、1日遅れても水は腐らない」とまったく動じなかった。
むしろ「事前に何度も確認しておけばよかった」「これがこの国の輸送業の現実。今日はいい勉強になった」と笑顔すら見せる。
「ミャンマーの人はのんびり屋なんですね」。そう言って笑う同氏は、一風変わった経歴の持ち主だ。
もともと家業を継ぐつもりはなく、地元の市役所に勤務していた。堅実な公務員生活の傍ら、福山市の町おこしに情熱を注いでいたが、外務省の案件化調査が決定したのを機に、退職。ミャンマー事業に専念するため、SAマリンに入社した。