コンテナから下ろした荷物をトラックに運ぶ

 最大の原因は、水深の浅さだ。国土を南北に流れる全長2150キロ、流域面積43万平方キロのイラワジ川は、交通や物流の大動脈となるポテンシャルを有している。その一方で、雨期と乾期の水深差が10メートル以上あり、乾期には水位が1メートル以下の浅瀬も多く出現する。

 船体の一番下から水面までの垂直距離(吃水)が深い大きな船舶は物理的に航行できないため、浅瀬でも航行可能な船舶への積み替えを余儀なくされているというわけだ。

バラ荷の課題

 しかし、こうしたバラ荷輸送には問題がある。まず、時間的あるいはコスト的なロスの大きさだ。また、バラ荷を人力で積み下ろしする過程で、荷の一部が落下して強い衝撃を受けたり、雨風にあたったりして損傷を受ける可能性もある。さらに、盗難リスクも高い。

 しかし、海外からの投資や工業化の進展によって増加の一途をたどるミャンマーの物流需要の今後を考える時、重量物を大量に輸送できる内陸水運を本格活用する必要があるのは明らかだ。

 国際協力機構(JICA)が2014年に策定した全国運輸交通マスタープランでも、内陸水運の活用は鉄道や道路の整備とともに3本柱の1つに位置づけられている。

 「浅瀬でも航行できる台船をこの国に導入し、荷痛みが少なく、施錠できて盗難リスクも少ないコンテナ輸送を根づかせ輸送効率を向上したい」

 そんな願いをかかげ、4年前に始まったある日本企業の挑戦が、佳境を迎えている。その先頭に立つ宮本武司さんは、かつては世界中の船舶の6分の1を建造していた瀬戸内地方のSAマリン(有)(本社・広島県福山市)の後継ぎだ。

 昨年8月には、SAマリンミャンマーの社長に就任した。がっしりとした体格と真っ黒に日焼けした風貌だが、ふと見せる笑顔は驚くほど親しみやすく、おっとりした広島弁も耳に優しい。

 1962年の創業以来、瀬戸内海の造船会社向けに船舶ブロックを運搬していたSAマリンが、国内市場の行き詰まりを受けてミャンマーでの事業展開に乗り出すに至ったのは、めぐり合わせの賜物だ。

 2008年に発生したリーマンショックと、その後の民主党政権下の円高によって倒産や赤字が相次ぎ、2014年までに受注残高がなくなると言われていた国内の造船市場。これを受け、武司氏の父でSAマリン代表取締役の宮本判司氏は、海外のコンテナビジネスの状況を視察するために、まず中国・上海港を訪れた。

 しかし、同国のコンテナビジネスは思っていた以上に盛えており、同社が参入する余地はなかった。

 その後、同じ広島にある企業から紹介されてミャンマー・イラワジ川を訪れた判司氏が、「ここならできそう」だと直感したのは、造船業が右肩上がりに伸びた1960年代後半から70年代の日本によく似ていたことに加え、判司氏自身、第2次世界大戦に従軍したミャンマー(当時のビルマ)から奇跡的に生還した父・武雄氏(武司氏の祖父)から、いかに現地の人々に助けられたか聞かされて育ったことも無関係ではなかった。

 「父は、どこでも良かったのではなく、ミャンマーだから挑戦を決意したんだと思います」と、武司氏は判司氏を思いやる。