(文:田中 直毅)
中国が世界史において昇竜として新たに浮上したのは21世紀に入って以降である。再登場したのは、江沢民総書記(当時)が中国農村の農業生産力に見切りをつけて、穀物、飼料などの対外開放の見返りとしてWTO(世界貿易機関)加盟を獲得した時だ。
WTOは貿易や投資を巡って内外無差別の条件を課しており、これで「共産中国」に投資をしても理不尽に資産接収の憂き目にあうことはない、と理解された。これでまず在外中国人のビジネスマンが対中投資に本格的に乗り出した。
華僑新世代が立ち上げた「世界華人経済峰会」
本稿では世界華人経済峰会(ワールド・チャイニーズ・エコノミック・サミット)を紹介する。この集まりは、マレーシア在住の華僑指導者が中心となって、年1回の華僑大会を世界の各地で開催することを2008年に決めたことに発する。
2008年から2009年にかけて世界の金融危機は深刻化した。中国は4兆元(約57兆円)の公共投資の拡大策を発表し、世界の総需要を管理するという気概を示した。その後の中国経済の過剰供給能力に直結する施策取り決めであったが、この時点で中国は間違いなく世界経済の最前線に立った。
自分たちをDiaspora(ディアスポラ、バビロン幽囚以降の離散ユダヤ人)と英語表記する華僑たちは、立ち上がる時が来たと感じたようだ。
この時中核的な役割を果たした人々は、決して「長老」ではなかったことが興味深い。1980年代の後半以降は東南アジア諸国の経済勃興が顕著となった。ちょうどこのときに商機を見出した人々が中心となったのである。「ディアスポラ」の受難の歴史のただなかにあった世代の人々にとっては、現地政府の華僑への目線を知るがゆえに、とても「離散中国人」を名乗ることなど考えられもしなかったといえよう。
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