今年は真珠湾攻撃75周年の節目の年である。12月26、27日には安倍総理が「戦後政治の総決算」を果たすべく、真珠湾を訪問する計画も立てられている。
今回はこの機会に、「政治的手段としての戦争」「軍事的合理性を追求することの弊害」という観点から真珠湾攻撃の教訓を考えてみたい。
作戦レベルの成功が戦略レベルの破滅を呼び込んだ
真珠湾「奇襲」攻撃は、作戦レベルにおける軍事的合理性を、政治的・戦略的合理性に優先させるとどうなるかを示す格好の例であった。
真珠湾攻撃は、確かに作戦レベルでは、太平洋艦隊の戦艦群を壊滅させる歴史的な戦果を獲得し、それにより東南アジア各所の連合国軍の戦意を低下させ、米国に彼らを救うための戦力を喪失させ、南方作戦の成功に大いに寄与した。
しかし、戦略レベルでは何が起きたか。後述するが、真珠湾「奇襲」攻撃は、外交上、卑劣極まりないと言われても仕方がないものであった。そのため、米国の戦意は限りなく高揚し、戦勝終結の見込みは完全にゼロになった。そして、彼らをして市街地への無差別戦略爆撃、無差別の通商破壊作戦、さらには原爆投下を正当化させ、またその心理的な枷(かせ)を無くさせることになった。