オバマ大統領就任演説のどこが、後々語り継がれるのか。JFK(ケネディ大統領)ばりの決め台詞が出てくるのを期待していたけれど、肩すかしだった。
いまや持ち味となった、前途の難局を説いて当面の弛緩を戒める説教者・求道者ふうトーンは、眉間の深い縦皺とあいまって色ならモノクローム。
自作自演オバマ・ブランド
拍手でスピーチが途切れる場面はなく、指笛など一度として鳴らなかった。
それが、第44代大統領がスピーチライターと思案の挙句打ち出すことにした線であり、オバマ・ブランドの自作自演アイデンティティなのに違いない。俗受けを狙う煽動家の対極に、自らを位置づけようとする意図がはっきり看取できた。
ユーフォリア(熱狂)はもうおしまい。厳冬期の辛い仕事が待っている、と言いたかったのである。
直後の見出しとして、ニューヨーク・タイムズ(NYT)紙が選んだ一節とは次の部分だ。
“We have duties to ourselves, our nation and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly."
「duties」は、「義務」と訳すより「責務」だろう。「責務をわれわれは、嬉々としてつかまえにいくのである」と言っている。
NYTもワシントン・ポストも、キーフレーズとして「(An) Era of Responsibility(責任の時代)」を取った。
自制力の一流見せつける
演説中、一度も白い歯を見せて微笑まなかった。能弁と説得力を、テクスト以上にその表情が担うという、オバマ演説に顕著な特徴がここにも見られた。
これを自制なく多用すると、容易に悪性の煽動術と化す。ところがオバマ氏の場合、大統領になったのだし、こみ上げる感懐があったに違いないのに、そこをおくびにも出さなかった。自制力は噂に違わず一流だというところを証明した。
アメリカをやりかえ(Renewing America)、世界を再びリードするのだと決意を表明する人にとって、いかにも具備すべき要件ではある。
スタートとしてまずは首尾よく、政治的自己資本(political capital)をふんだんに持つ米国指導者の登場こそ世界の待ち望んでいたところだったのであってみれば、歓迎すべき始まりだ。