天安門広場に掲げられている毛沢東の肖像画(資料写真)

(北京より)

 世界の多くは、中国の指導者・習近平を、懸念を抱いて眺めている。習近平が中央集権化を再び始めているというためだけではない。彼が行う急進的な反汚職キャンペーンが、政治的粛清のカモフラージュだと見る者は多い。

 このように見る論者は、「習近平は個人崇拝のカルトを築いているのだ。それは、毛沢東の周りで文化大革命を引き起こした者たちのカルトと同じようなものだ」と憂慮する。

 しかし実際のところ、習近平は全くそんな邪悪なものではない。

 確かに、習近平がある程度権力を蓄えているというのは事実だ。しかし彼の動機は、中国を(中国政府も、中国経済も)強くするための必要性に駆られてのものだ。その目的を達成するために彼は、少しばかり制御不能になった官僚システムを元に戻さねばならない。

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 この30年の間、中国の権力機構は大幅に分権的になった。地方公共団体は、実質的な自治権を徐々に多く与えられるようになり、外国投資を誘致し、GDP成長を誘発させるといった改革を実験してきた。さらに地方公共団体は、土地・財政・エネルギー・原料物質といった資源に対し、また地方インフラに対し、直接的なコントロール権を与えられた。結果として、2000年から2014年にわたって、地方政府の支出が公費全体の71%を占めることになった。これは世界最大の連邦国家と比べてもかなり大きい。例えば、アメリカの地方の支出が公費に占める割合は46%だ。