タイトルを見てギョッとした向きもあるだろう。しかし、海上自衛隊の艦艇のダメージコントロール(ダメコン)は、かつての帝国海軍の伝統を引き継ぎ、いまだに脆弱な面がある。これは否定しようのない事実なのだ。
第2次世界大戦中の日本海軍のダメコンは、設計から被害後の対応まで米軍とは比較にならないほど低レベルだったと言ってよい。装甲空母「大鳳」は結果的に魚雷1発で、巨大空母「信濃」は魚雷4発で空しく海底に消えていった。ミッドウェーでは、4隻の空母が炎上し消えていった。他方、米海軍の艦艇は実にしぶとく、昭和天皇が「『サラトガ』が沈んだのは今度で確か4回目だったと思うが」と軍部の報告に皮肉ったように、日本軍の激しい攻撃を耐え抜き、即座に戦列復帰した例が多い。
日米の戦力は戦争序盤では拮抗していたが、ダメコンの格差が戦力の天秤を米国に傾け、中盤以降はただでさえ少ない日本側の戦力をさらに減少させることになった。こうした背景には、日本側は過去のダメコンの教訓が設計に十分に反映されていなかったこと、米空母に比べて日本の空母は人員が足りなかったことなどが挙げられる。
消火システムの自動化が進んでいない海自艦艇
実は、これらの点は現在も改められていないのが実状である。