すっかり旧聞に属することだが、かつてテレビ番組で紹介された納豆ダイエットなるものが話題になった。

 確かに納豆は体に悪くはないだろう。しかし、積極的なダイエットになるかどうかはまた別の話である。そのときに問題となったのは、実験と称したものが、実際には適切に行われておらず、ねつ造だった点である。また、海外の科学者の発言も翻訳に際して脚色されていた。

 いまさら取り立ててその番組内容を云々するつもりはないのだが、あの騒動は、ある意味で科学と社会の関係を象徴しているような気がしてならない。

 あの番組では、「科学的なデータ」とか「科学者」という言葉が、番組の内容に信頼性(この場合は「信憑性」の語をあててもよいかもしれない)をもたせるために安易に利用されていた。そして視聴者もその誘導に乗り、納豆を買いに走った。これは、番組を作る側と視聴者の側双方の問題をえぐり出した。

 そこで思う、日本は科学技術先進国とされているが、国民の大多数の科学理解度(科学リテラシー)は、はたしていかほどのものなのだろうかと。

高校の理科教育

 日本学術会議は、2016年2月に提言「これからの高校理科教育のあり方」を公表した(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-t224-1.pdf)。

 これは、社会の健全な発展を図るためには科学技術の専門家と言われる人々だけでなく、万人が科学技術のあり方を正しく理解し、うまく活用していくことが不可欠との前提の下に、その実現に近づくために必要な高校理科教育のあり方を論じたものである(筆者はその素案を2年にわたって議論した小委員会に委員の一員として参加してきた)。