殺人AIロボット開発阻止を訴え、ダボス会議で科学者ら

ロンドンで「殺人ロボット」禁止に向けキャンペーンを行った国際人権団体が公開した「殺人ロボット」人形(2013年4月23日撮影、資料写真)。2016年1月にも世界経済フォーラム(WEF)年次総会(ダボス会議)に集った政財界の有力者や科学者、軍事専門家らが警鐘を鳴らした。〔AFPBB News

 私は、生粋の文系かつアナログ人間である。

 そんな私が、同世代の知人たちと行動を共にすると、彼らは少しでも時間があればスマホを取り出し、あっちでピコピコ、こっちでピロピロとやり始める。

 いまここにいない誰かと繋がり合うことばかりに意識が向かって、近くの他人はシャットアウト状態ということがままある。

「袖振り合うも多生の縁」なんて言葉はどこへやら。皆そろって袖のない服を着ている現代は、ひと昔前の暮しを愛する私のような者にとっては、世知辛く感じる。いやはや、昭和は遠くなりにけりだ。

 ピコピコ、ピロピロのなかでも最悪なのはゲームだ。いまここで、同じ空間に存在しているのに、別々の小さい画面を凝視しながら時を過ごすことの虚しさ、不条理さったらない。しかもバーチャルな世界の中で、せっせと課金したとしても、手元には何も残らない、何も生み出さないという状況にあって、彼らはよくぞ納得して出費するものだ。

 いや、自分たちが課金した結果、儲けたゲーム会社が野球チームを持つに至ったり、儲けすぎた役員の名前がひょっとしたらパナマ文書に載っていたりと、社会的な影響を少なからず与えていますから、私は間接的に何かしらを生み出しています、そう主張するのならば、もはや何も言うまい。

 でも、有限な自らの時間を差し出して、どこの誰とも分からない見知らぬ相手に勝つことで満たされる自尊心の持ち主なんて、陰気で悲しい奴らだと思わないか? などと飲み屋で長広舌をふるう私。そうしたら、一緒に飲んでいた本コラムでもおなじみの同僚の長江に、手痛い反論をされてしまった。

 長江曰く、例えば「勉強」を推奨している「今」の価値観ではそうかもしれないが、もしこの先、勉強することの意味や価値が暴落してしまって「勉強」が「ゲーム」に取って代わられないという保証はない、と。

 すなわち、自分の生涯において有する限りある時間を割り当てる対象として、勉強よりもゲームが人生を切り開き、自己を実現する手段として選択される未来が存在するかもしれないよと、要約するとそういうことらしい。

 黙って聞いていたコッチは結構酔っていたから、たらればの話を理解するのに時間がかかった。これだけ皆がこぞってゲームに熱中しているならば、ゲームのうまさで人が評価される社会が来ないとも限らない、つまりはそういうことらしい。

 なるほど、確かに可能性としては否定できず、反論が思い浮かばなかったので、自分の分のビールを頼むついでに、何とかサワーを飲んでいた長江さんのために、専用の冷や酒を勝手に4合ほど頼んであげた。二日酔いしますようにとの願いを込めて。

 今宵も酒場の片隅で、繰り広げられているかもしれないこんなバカ話。でも実はこのようなやり取り、酔狂という言葉では一概に片づけられない未来が、すぐそこまで来ている。

 私が反論に対して反論しなかったのは、これから紹介する3冊が示す未来が頭に思い浮かび、そういうこともあるかもなぁと思ったからだった。決して酔っぱらっていたからではない。いまこの瞬間にも社会が、いやこの世界そのものが、人間に求めることを変えつつある・・・そんな未来の到来を予感させる本を、今回は紹介する。

 これから挙げる本の内容を信じるなら、人類のターニングポイントはすぐそこに迫っているのだ・・・・・・ヒック。

2045年「技術的特異点」で何が起こる?

 テレビやネットニュースを見ていると、ここ2~3年の間で「人工知能」もしくは「AI」という単語を見聞きする機会が、格段に増えたと感じる。