今回のコラムでは、日本企業の強みとされた緊密な連携を支える組織の「集団凝集性」(集団としてのまとまり)の低下とその背景を議論し、組織リーダーの役割を議論したい。

 まず、身近な例から議論を出発してみよう。国際大会に出場する日本代表チームの特徴にはどのようなものが挙げられるか、考えてみてほしい。

 おそらくその1つに挙げられるのが、「個に依存しない高い組織力」というものであろう。そこには、メンバーが平均的なレベルで、スター選手のような高い個人技がないとしても、まとまり良く緊密に連携することで、優れた戦果がもたらされる、という期待である。真偽のほどはさておき、このような期待が、サッカーしかり野球しかりチームスポーツでは必ず登場する。

 日本企業の強みを語る上でも、個人の能力以上に組織内部での個人間の緊密な連携の重要性を強調する主張が数多く見られる。

 小集団の品質改善活動に代表されるように、個人の優れた経営技能や技術開発能力といった個人の能力ではなく、平均的で無名の組織成員による努力の集積こそが日本企業の強みの源泉である、という主張はその一例である。 

卓越した個人の能力か、緊密な連携か

 卓越した能力を持つ個人が互いにまとまりを持って、組織目標に向かって緊密な連携ができれば、それが理想である。しかし、現実には、卓越した個人が互いの個人的目標を一致させ、それを組織の目標として、緊密に連携を取ることは容易ではない。

 それゆえ、多くの企業にとって一般的な次善の選択肢は、次の2つである。それは、組織に卓越した個人を集めることを優先し、組織としての互いの緊密な連携を相対的に犠牲にするか、あるいは、それとは逆に緊密な連携を優先し、卓越した能力を持つ個人を集めることを犠牲にするか、である。

 極端に単純化すれば、米国の企業社会では前者の選択肢が重視されてきた。一方、1990年代半ばまでの日本の企業社会では後者の選択肢が重視され、両国固有の経営慣行が形成されてきたように思われる。

 その結果として、米国では組織全体の成果を卓越した個人が牽引し、日本では組織成員間の緊密な連携が牽引する、という対象的な相違が生み出されてきた、と言えるだろう。

 社内の緊密な連携を特徴とする日本企業が、組み立て型の、手離れのよい、大衆向け領域で高い国際競争力を確立した。その歴史的事実は、平均的な能力の成員が緊密に連携すると、卓越した組織成員の単純総和としての組織成果を超えることがある、ということを示唆している。

緊密な連携を支える「集団凝集性」

 濃密な相互作用を通じて、組織の成員が緊密な連携を行うためには、個々の成員が次のことを行う必要がある。