棚からボタ餅、天からスーパーノヴァ

 今回のノーベル物理学賞を、ですから私は「梶田さんの」とは記しません。神岡の仕事として以下お話したいと思います。

 1987年2月23日、物理学科の学生だった私たちは、小柴・折戸研究室グループが展開している神岡鉱山の巨大検出器「カミオカンデ」が、大マゼラン星雲で起きた超新星(スーパーノヴァ)の爆発で発生したニュートリノを(全くの偶然でしたが)観測したというニュースに接しました。

 物理の学生というのは概して口さがないもので「棚から牡丹餅じゃなくて、天から超新星(スーパーノヴァ)だ」などと揶揄したりしたものですが、実際のところ新しい測定原理で作られた神岡の装置が宇宙ニュートリノをリアルタイムで観測したことは大きなニュースで、物理雀の若者たちは大いに沸き立ったのでありました。

 神岡の装置「カミオカンデ」は、言ってみれば陰の発想に立って素粒子実験物理学が直面していた壁を大きく破るものでした。

 1945年、第2次世界大戦を終結させた広島・長崎の原子爆弾以降、素粒子・原子核物理学は「最終兵器」を支える基礎学術として米ソ(後には欧州も参画)両大国がしのぎを削って覇を競い、ほぼ一方的な西側の勝利に終わった、典型的な「巨大科学」でありました。

 原水爆の開発競争が激しかった冷戦期には、こぞって巨大加速器が建設され、1950~60年代には「素粒子民主主義」時代などと呼ばれるほど、膨大な数の「共鳴状態」(ごく短い寿命で消えていく高エネルギー素粒子)の存在が確認されます。

 こうした状況は一方で理論的に整備され、他方その理論の破れが実験によって指摘され、さらに新たな理論が提出され、という、サイエンスの最先端での挑戦が繰り返されました。しかし、巨大になり過ぎたサイエンスには、やがて限界が訪れます。

 確認したい現象を実現するエネルギー領域が高くなり過ぎ、地上で電力を使って実現できる実験環境の限界を経済面も含め、超え始めてしまったのです。

 早い話、計画時点で装置が大きくなり過ぎる、実験を実現するには電気代その他費用がかかり過ぎる・・・などなど。発電した電力で人工的に高エネルギー状態を作り出すといった考え方は、いわば「陽の発想」と呼ぶことができると思います。

 そのような巨大科学の現実的な限界を前に、地上で人類が実現できる高エネルギーではなく、宇宙創成以来私たちの銀河や外の天体で発生した巨大爆発や超高エネルギー現象を、受身の立場でじっと待つ、全く新しい考え方で建設されたのが「カミオカンデ」だったのです。言うなれば「陰の発想」ですね。