米国アジア村の反応
最後に、米国のアジア専門家について一言。今回のワシントン出張は別件だったため、あまり多くのアジア村住人と意見交換をする機会はなかった。総じてい言えば、今回の安倍談話は事前の予想以上に内容面でバランスが良く取れており、談話を厳しく批判する向きはごく少数だと感じている。
最近筆者は米国のアジア関係識者に対し、次のように言い続けてきた。
(1)従来から歴史問題で日本は国論が割れていたため中国や韓国の介入を許してきた。
(2)1995年に作られた村山談話は国論を収斂させるどころか、逆に左右の亀裂を深めてしまった。
(3)そのような亀裂を修復し、国論を収斂させることができるのはリベラルではなく保守の政治家だ。
(4)サダトと握手したイスラエルのベギン首相も、毛沢東と握手したニクソン大統領も、いずれも保守強硬派だったからこそ、国論の分裂が収斂し、新たなコンセンサスが生まれたのだ。
(5)されば、日本で歴史問題に関するコンセンサス作りが可能なのは保守強硬派の安倍首相である。
(6)今回の安倍談話をリベラル派が批判し、保守派が歓迎するようならば、歴史問題に関する国民的コンセンサス作りの第一歩となるかもしれない。
そのことを理解し、将来の中国との競争に備えるべしと考える米国人識者は沈黙を守っている。これに対し、それを理解できないアジア専門家の一部は安倍政権を批判し続けるだろう。米主要紙の若いアジア特派員の大半は後者だが、幸い今回のワシントンポスト社説は前者を代弁する声なのかもしれない。