「集団安全保障」と「集団的自衛権」はまったく別物
井本 サッカーで言うと、「フリーダム・クラブ」というチームに所属している日本や米国、オーストラリアの選手が一体になって、敵のチームの選手によって自陣のゴールポストにボールを蹴りこまれないよう全員で身体を張って防ぐということですね。
佐瀬 国連憲章はある国が破壊的、侵略的行為をとった場合、国連全体で制裁する「集団安全保障」という仕組みをとっています。
しかし、安全保障理事会の一致した決議がなければこの制裁はできず、実際には米ソ(現ロシア)など5大理事国が拒否権を発動するため、決議が成立しないことが多い。
「これでは効果的な防衛ができない」ということから生み出されたのが国連憲章第51条です。51条で「集団安全保障の措置がとられるまでの間、個別的または集団的自衛権を行使できる」と定めたのです。しばしば「集団安全保障」と「集団的自衛権」をゴッチャにした議論が見られますが、両者はまったく違います。
集団的自衛権はどの国連加盟国でも持てるし、どの国ともチームを組むことができます。日本政府は「自国と密接な関係にある」国を守る権利としていますが、定義として間違っています。ただ、実態としては密接な関係を持つ同盟国との間で行使されることが一般的です。日本の最大の同盟国は米国で、集団的自衛措置として日米安保条約が結ばれています。
ところが、日米安保条約の場合、通常の国同士の約束とは異なっています。集団的自衛は双務性が原則で、チームを組むメンバーが危なくなったら相互に相手を守る約束です。ところが、日米安保条約第5条は「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め・・・共通の危険に対処するように行動することを宣言する」としています。
日本が攻撃されたら米国は日本防衛の義務を負うが、日本は米国防衛の義務を追わないという片務的な内容になっているのです。
憲法9条を巡る誤解も
井本 その代わり、沖縄はじめ日本各地に多大の米軍基地を置く自由を与え、米国の世界軍事戦略を円滑に進めやすくしています。
日米両政府は今春、防衛協力のための指針(ガイドライン)を改定した〔AFPBB News〕
佐瀬 その点はともかく、日本は同安保条約で米国を防衛する義務は負っていないが、その行使を禁じられているわけではありません。
したがって「憲法9条があるから集団的自衛権を行使できない」というこれまでの内閣法制局の見解は間違っているのです。
日本国憲法の誕生は国連憲章の制定よりも1年5カ月ほど遅い。国連憲章の方が先発法規です。憲法98条は国際法規の遵守をうたっており、日本は1956年の国連加盟の際も憲章に何の留保もつけなかった。その国連憲章が集団的自衛権の行使を容認しているわけで、安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定したゆえんもそこにある。