しかし、榊原氏は「フレームワークを立てる道筋を含めてミャンマー側に示すことが重要。考える過程からブラックボックスにせず共有すれば、前提の条件が変わった場合も自分たちで直せる」と話す。
自ら現状を把握し、将来を予測し、そのためのロードマップを描く――。マスタープランの策定協力を通じ、国づくりに欠かせない考え方についても技術移転が行われている。
水上交通の要
ところかわって、古都マンダレー。首都ネピドーから北にさらに300km、高速道路を車で走ること約3時間、同国のほぼ中心に位置するこの地は、19世紀半ば、ヤンゴン、モーラミャイン、マルタバンが次々とイギリスに占領されつつあった中、26年にわたりこの国最後の王朝が置かれていた地だ。
市内の北側には、3km四方をお堀に囲まれた旧王宮が建てられ、その南側に碁盤目状の街路が整然と張り巡らされている。
ヤンゴンから伸びる幹線鉄道の北の終点、マンダレー駅を訪れた。
薄ピンク色の僧衣を着た子どもの尼僧や重そうなかばんを一緒に運ぶ2人組の女性、この地ではお馴染みの銀色のお弁当箱を手に下げた男性など、乗客が次々と構内に吸い込まれていく。
駅前は市内の中心部らしく、ガラスが壁面にはめ込まれた中華風の大きなホテルや銀行などが建ち並ぶ。鉄道が生まれ変わる頃、この駅の風景はどう変わっているのだろうか。
また、この地は古くから水上交通の要の地でもあり、エーヤワディー川によってタバコやコメ、チーク材などの農産物が集積される。しかし、マンダレー港には港湾施設と呼べるものはなく、エーヤワディーの川沿いでは、船舶が直接河岸に乗りつけ、乗客の乗降の傍ら、貨物の荷役が人力で行われている。
また、雨期と乾期では7~8mの水位差があり、水位が上昇する雨期には、トラックから船への荷物の積み下ろしは市街道路上で行われるが、乾期にはトラックが干上がった河床まで降りて行く必要がある。
そのため、進行中のマスタープラン調査の中でも、この街の港湾改修と荷役の近代化は内陸水運分野の優先プロジェクトの1つだ。
肩に担いで荷物を運ぶ日雇い労働者たちが船と河岸とを行き来する姿や、付近に屋台が出現するなど活気溢れる川べりの風景には確かに情緒がある。
とはいえ、北部および中部ミャンマーの取り引きの中心であるこの地が、この先もずっとこのままでいいということはない。
この街の人々の暮らしの変化は、エーヤワディー川をはじめ多くの河川を有し、国内輸送の多くを水運に依存するこの国全体にとっても大きな意味を持つものになるだろう――。川のほとりでそんなことを考えた。
(つづく)
本記事は『国際開発ジャーナル』(国際開発ジャーナル社発行)のコンテンツを転載したものです。