しかし、その後、先進諸国での省エネルギーの取り組み、非OPEC産油国の増産(北海油田やメキシコ湾など)、OPEC諸国の政策変更(サウジアラビアが「調整役」を放棄)などの要因により、1981年から原油価格は徐々に低下。1986年には1バレル当たり10ドルにまで下落してしまう。高コスト構造の米国産原油はこうした低価格に競争力がなく、多くの採掘事業が行き詰まり、米国内の油井数は4000(1981年)から757(1986年)に激減した。

 そうした状況の中で、多くの銀行関係者は「原油価格の下落は一時的なものであり、いずれ回復する」と楽観的に考えて対応が遅れ、損失が拡大した。

 その後、テキサス州の銀行は、石油産業に代わり、当時好調であった不動産融資に傾注することになった。そのため、不動産の空室率が上昇しているのにもかかわらず建設ラッシュが続いた。ところが不動産ブームの発端は、石油ブームで地域経済が繁栄していたからである。実体経済の裏付けのない不動産ブームが続くはずがなかった。空室率はさらに上昇し、商業用不動産に傾注していた金融機関は多くの不良債権を抱えることになった。

 その結果が、1987年から89年にかけて米国全体で発生した金融機関の大量破綻である。件数べースのうち、実に71%(491行)がテキサス州の金融機関だった。資産ベースでは、87年にテキサス州の銀行が有する資産の25%分が消失し、総資産規模でテキサス州のトップ10の銀行のうち9行が破綻または買収されるという壊滅的な状況となった。

 銀行だけではなく「S&L」の破綻もテキサス州が中心であった。

 S&Lはそもそも住宅ローンに特化した小さな金融機関だった。1980年代初頭にリスク性のある商業用不動産融資が認められたが、その監督・検査体制が効果的に機能しなかったため、86年初めに3234あったS&Lは95年末には1645まで減少し、S&L危機に伴うコストは1500億ドルに達したと言われている。

 このように逆オイルショックを契機に80年代から90年代前半にかけて3000近い金融機関が破綻し、総資産で約9000億ドル、破綻処理コストが1900億ドルにも達する金融危機が発生したのである。