ご飯にも乳房にも!?日本人とふりかけの歴史

“ご飯のお供”のたどる道(前篇)

2015.04.10(Fri)漆原 次郎

乳房にふりかけを付けてわが子に吸わす

 戦前、ふりかけ商品は、いまの感覚からすれば高級食材だった。商品の購入をせず、家庭で主婦など半端に残った魚肉などをもとに手づくりしていたのが主流だったともいう。1941年11月13日付の読売新聞には、「ゴマ藍に代る栄養五色粉 ご家庭で作りませう」という見出しで、桜海老や煮干しなどを炒って、青海苔やみかんの皮などを加えるふりかけのレシピを紹介している。

 ふりかけ商品には、こんな使われ方のものもあったようだ。1940年の新聞に「味乃國産」という「栄養調味料」の広告が出ている。「御飯にかけてお惣ざいにもなる」「海陸ノ天産物七種ヨリ加工製品ナリ」といった宣伝文句から、ふりかけ商品と言えよう。広告の中で目を引くのは「幼児ならお母様の乳房につけてお與(あた)え下さい」というところだ。発育増進、骨の強化、血色良好などの効果があるのだという。

 効果のほどはわからないが、栄養成分を粉末状にしてそれを食べて健康になるといった役目を当時のふりかけ商品は担っていたのだろう。

1940年、「味乃國産」の新聞広告

 戦後になると、食の多様化が進んだ。ふりかけ商品の多様化も進んだ。『ふりかけ』(熊谷真菜・日本ふりかけ懇話会共著、学陽書房)によると、「是はうまい」の丸美屋食品工業では、1959(昭和34)年、当時も現役で社長をつとめていた阿部末吉が「是はうまい」に玉子を入れた「玉子ふりかけ」を発売した。だが、塩辛い味で子供たちには合わない。阿部たちは翌年すぐ、今度は海苔と玉子を混ぜた「のりたま」を開発し発売した。その後、1963(昭和38)年には「エイトマンシール」をおまけとした「のりたま」を発売。これが爆発的に売れた。大人の高級食材から子供も楽しめる大衆食材へ、ふりかけは大きく変わっていったのだ。なお、丸美屋食品工業は同年「のりたま」の弟分として「牛肉すきやきふりかけ」も発売し、これも成功を収めた。

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