「未曽有の金融危機」「100年に1度の惨事」「大恐慌以来の出来事」。歴史は繰り返す、しかも忘れた頃に。いったい何が起きているのか。これからどうなるのか。不安に駆られた人々は、1929年10月のウォール街株価大暴落に端を発した大恐慌当時の状況に関心を抱き、「金融危機本」と呼ばれるジャンルの売れ行きに貢献することになった。
だが、大恐慌の頃に世の中に漂っていた「空気」は、そう簡単に追体験できるものではあるまい。経済史の本よりもむしろ、人々の息吹が感じられる小説やエッセーの類のほうが、追体験には適しているようにも思われる。筆者は子供の頃から現在に至るまで、海外のものを中心に推理小説(ミステリー)を読み続けている大ファンなのだが、最近たまたま読んだ2つの作品で、「これが大恐慌の頃の『空気』だな」と感じさせられるくだりに出くわす機会があった。現在との類似点に、誰でも驚かされるのではないか。
(1)T・S・ストリブリング「チン・リーの復活」(1932年4月「アドベンチャー」誌に掲載された短編。『ポジオリ教授の冒険』河出書房新社 2008年刊 所収。霜島義明訳)
「でも、こういうふうに考えてみたらどうでしょう」ポジオリが言った。「もしも私があなたに石油の滲み出している場所を教えたら、大量に噴き出してくる保証はなくても、掘り出してみたくなるのではありませんか」
製材所長は首を横に振った。
「今はだめですよ、ポジオリ先生。五年前に石油のにおいがしたら、先生をとことん応援したでしょうが、好景気が去ってからは、合衆国財務省の保証があってロイズが保険を引き受けてくれない限り、どんな儲け話だろうと投機にはびた一文注ぎ込むつもりはありません」
ポジオリは肩をすくめた。
「よくわかりました。そういう心理が働いているから、いつまでもこの不景気から抜けられないんですよ、ギャロウェイさん。しかも、みんなそういう事実から目をそむけている(後略)」
文中に出てくるポジオリというのは犯罪心理学者で、ストリブリングが執筆したシリーズ物の探偵役である。引用した部分は、ストーリーの本質部分とは何の関係もないのだが、株価大暴落に懲りてリスク回避志向が非常に強まっていた1932年当時の「空気」を活写していると言えよう。「合衆国財務省の保証があってロイズが保険を引き受けてくれない限り」儲け話には手を出さない、というくだりは、合衆国政府の保証付きで米国の大手金融機関が債券を発行して資金調達を行っており、これが安全確実で米国債よりも魅力的な投資対象だとして人気化している、現在の状況と重なっている。
また、心理学者であるポジオリが発した「そういう心理が働いているから、いつまでもこの不景気から抜けられないんですよ」というせりふは、言い得て妙であろう。経済活動というのは、リスクを取ってこそ活発になるものである。中央銀行が不景気の時に政策金利を引き下げるのは、企業や家計が何らかのリスクを取ろうとする際の資金コストを引き下げることで、リスクを取るように促しているわけである。企業が設備投資を行って得られると見込まれる収益率よりも企業の資金調達コストの方がかなりの程度低くなるように仕向けてやれば、企業経営者が合理的な判断を下す限り、設備投資は活発になるはずである。政府が景気テコ入れのために行う減税策も、狙いは同じである。
ポジオリは続けて言う。「しかも、みんなそういう事実から目をそむけている」。いわゆる「横並び」でリスク回避志向が蔓延しており、そのことが景気回復を遅らせている事実を皮肉ったものだろう。
とはいえ、2009年の企業トップ年頭所感を読むと、「危機の中にこそチャンスがある」「中長期で必要な投資を怠ることはしない」といった類の、自社の生き残りのために必要なリスクは取っていくという気概を感じ取ることができる。大恐慌の頃とは違った前向きな部分がしっかりあるわけで、心強い。