マット安川 戦中・戦後の日本を、横浜の港から見守ってきた藤木会長。横浜大空襲のお話など、様々な出来事を教えていただき、中でも赤紙が届いた家庭の話には、スタジオで思わず涙ぐんでしまいました。

 戦争未体験の私たちに課せられた命題は、こうした歴史をどう次世代に継承するか、です。

戦争に行ったのは国を守るため、一つの祖国愛、隣人愛である

「マット安川のずばり勝負」ゲスト:藤木幸夫/前田せいめい撮影藤木 幸夫(ふじき・ゆきお)氏(右)
横浜港運協会会長、藤木企業株式会社 代表取締役会長。 実業家として港湾産業の近代化に取り組み、また長く日本の港湾行政に携わる。 (撮影・前田せいめい)

藤木幸夫 私は15年間、中学3年まで軍国少年で育ってきました。1日も早く戦地に行って突っ込みたいということしか考えていなかった。

 しかし、これは戦争をしたいからとか、人を殺したいというような乱暴なものではありません。戦争は誰だって行きたくないですよ。

 ただ、当時は日本の国全体が、女、子供を含めて1つの兵舎でした。民間とか庶民だからとかの区別はなかった。全員が兵役に就いていたようなものです。国を守るんだという気持ちで。

 例えば、アメリカの若い兵隊が朝鮮戦争やベトナム戦争、イラク戦争で何十万人死んでいます。どうして彼らは行かなければならないのか。

 それは隣のメリーを守る、隣のおばちゃん、おじちゃんを守る。だから俺は国のために銃を持って行くんだということです。

 日本の新聞の中には、大学の学費がタダになるからなどということを書いているものもあるけれど、それだけのために彼らは銃を取ってはいないでしょう。それは、一つの祖国愛、隣人愛です。

 我々も同じでしたよ。こんな話をしていると右翼だとか言われるけど、そうじゃない。15歳の時の話をしているんです。

戦争について興味本位だけでなく、しっかり調べ勉強してほしい

 マスコミは終戦に関する定例行事みたいな番組を作っています。私はそれをありがたいと思いますけれど、ただ、むなしいですね。

 戦争というのは映像や活字ではいろいろ資料がありますが、しかしあれは本物じゃない。知識としては分かる。しかし、民族の知恵にはつながりません。