100年に1度とも言われる経済危機が日本を覆いつくし、社会に様々な不安が広がっている。だが、これだけ不安が広がるのは、単に経済環境だけのせいだろうか。私にはそうは思えない。実は、私たちの暮らす社会環境に大きな問題があるのではないかという気がしてならない。

 その問題とは一言で言えば、日本の「共同体」が完全に崩壊してしまったという点である。

 ここで言う共同体とは、家族、地域社会、市民社会、市場、国家などといった、人が集まって生きるあらゆる形態を意味している。「連帯」よりも「競争」を重んじる新自由主義的な政治・経済の流れの中で、その共同体が今やすっかり日本から失われてしまった。

 とりわけ地域社会の機能不全は著しい。今の地域社会では、隣に住んでいる人の顔もよく分からない。隣人が死んでいようが、目の前で幼児が連れ去られようが、誰も気づかないのである。

 実際、2007年の国民生活白書によると、生活面で協力し合う近所の人の数が「ゼロ」と回答した人は、全体の65%に上るという。

 こんな世の中では、孤独の中で犯罪に走る者が現れ、地域の歯止めも効かず大事件に至ってしまうというのも不思議ではない。昨年、日本で発生した通り魔事件の件数は過去最多を記録した。中には、地域社会の力で防げたような事件もあったのではないか。

 犯罪だけではない。拡大の一途をたどる雇用不安に対して、地域社会も大いに力を発揮できるはずである。

地域が学校を運営する

 では、どうすれば地域社会に共同体を取り戻し、盛り上げていくことができるのだろうか。

 西洋社会では、キリスト教の教会が核となって、地域を一体化しているという話をよく耳にする。またフランスなどには、フランス革命以来の市民社会形成の深い歴史的蓄積があるという。

 一方、日本はどうかと言えば、かつて「村落」共同体はあったが、農業の衰退、ライフスタイルの転換、団地やマンションの隆盛など様々な要因によって、昔のような種類の紐帯(ちゅうたい)を求めることはもはや難しい。

 しかしそんな状況の中で、地域に新たな共同体を構築しようという動きがある。それは「コミュニティ・スクール」だ。日本社会に福音をもたらす制度として注目され、期待が集まっている。

 これは、2004年に文部科学省が導入した比較的新しい制度だ。保護者や地域住民が参画することによって、地域に開かれた学校づくりを目指すものである。2008年4月の時点で、全国の公立小・中学校を中心に346校が指定を受けている。

 最大のポイントは、学校関係者と地域の代表者からなる「学校運営協議会」が、実質的な人事権まで持っている点である。つまり、地域が学校を運営していると言っても過言ではない。