8月27日(ウクライナ・メディアによれば24日)、ロシアが人員・兵器を大々的に越境させたことにより、ウクライナ政府側の軍事勢力は後退を強いられ、ウクライナ東部情勢は転換点を迎えた。
軍事力によるドンバス(ドネツク州およびルガンスク州)解放の可能性は後退し、9月5日にミンスクで停戦議定書が調印された。
今般のロシアによる介入の短期的目的は、崩壊寸前であったドンバスの分離主義勢力-ドネツク人民共和国およびルガンスク人民共和国の立て直しであるが、中長期的には、ウクライナの国家体制に注文をつけるためのテコ入れである。
停戦後、ウクライナ政府はこの地域に特別な地位を与えることを決定したが、特別法が実際に運用されるか微妙な情勢である。
人民共和国とは何か
そもそも人民共和国(両人民共和国は「人民共和国連合ノヴォロシア」を名乗る)とはいかなるものなのか。
彼らやロシア政府の見解では「ファシスト的キエフ政権に対するウクライナ南・東部のロシア語話者住民の反抗」であり、ロシアの関与は「人道援助と義勇兵」に過ぎない。しかし、クリミアと比較すると、ドンバスの事例は、地元の関与・支持が少なく、外部からの影響が非常に大きい 。
クリミアもドンバスも、ことの発端は、ビクトル・ヤヌコビッチ政権=与党地域党の崩壊による地方の自立化である。
クリミアでは地元の公的権力(自治共和国議会、政府)が権力の空白を埋めた。ドンバスでも力ルガンスク州議会が中央に対し住民投票などを要求する動きを見せたが早々に終息してしまった。
その1カ月後の4月7日、突如としてよそから移動してきた武装集団がドンバスの政府系建物を次々に占拠し、地元の一部とともに人民共和国を名乗り始めた。
ここでの権力の担い手は、旧ソ連域内の数々の紛争に参加しドンバスにやって来たストレリコフ(前ドネツク人民共和国・国防相)・ボロダイ(前首相)のコンビが有名だが、地元からは、市、地区レベルの政治家、行政関係者もしくは政治家になり損ねた連中が加わり、州・国政レベルの政治家はほとんど関わっていない。