サッカーのようにボール一つを巡って丸腰で戦うなら何の問題もないが、装具は、様々な企業が莫大な開発費をかけて、どんどん進化させていく。レーム選手の義足は、化学工業で世界的に有名なバイエル社が開発しているという。
いずれにしても、今回の問題提起を受け、スポーツ界は、義足の選手の陸上競技参加についての規定はもちろん、身障者のスポーツ選手と身障者ではない選手が、同じ土俵で戦う場合の規定を、早急に定める必要があるだろう。
身体機能を補うためのテクノロジーはどこまで進化するのか
普段、スポーツ鑑賞は私の趣味ではないのだが、オリンピックや世界選手権などは見る。パラリンピックの陸上競技では、特に短距離走など、義足の付け根のところにものすごい力が掛かるだろうから、とても痛いのではないかといつも思う。
それと同時に、彼らに、これほどまでに早く走りたいという欲求を起こさせるものは何なのだろうと、不思議な気持ちにもなる。両足がある人だって、たいていは、家の周りをジョギングできれば満足なのに。
ラヴェルの曲に、『左手のためのピアノ協奏曲』という曲がある。第1次世界大戦で右手を無くしたピアニストのリクエストで作曲されたものだ。今では、両手のあるピアニストもよく弾く。
ものすごく難しい曲なので、ピアニストの技量も試されるのだが、目をつぶって聴いていると、まさか左手だけで弾いていると思えないほどのゴージャスさに、作曲家ラヴェルの本気度がひしひしと伝わってくる。しかし、と私は思う。これからは、右手のないピアニストは、ハイテクの義手でピアノが弾けるようになるのかもしれないと。
そもそも、将来は、機能の衰えた身体部分は、どんどん取り替えられるようになるはずだ。すでにドイツでは、人口股関節の手術が爆発的に増え、この前まで歩けなかった人が元気にトレッキングをしている。科学の力が人生のクオリティを向上させてくれるよい例だ。
最近、老化現象なのか、あっちが痛かったり、こっちが痛かったりする身の上としては、それを素晴らしいと思う一方、老化した部分を取り換えていくうちに、最終的に行き着くのは人工知能なのだろうかと、考えはいきなりSFっぽく飛躍する。
しかし、科学は、今、間違いなく不死身への道を突っ走っている。そして、レーム選手の義足は、その道に立つ一里塚であるような気がしてならない。