レーム選手は、14歳のとき、ウェイクボードの最中に右足のひざから下を失った。ウェイクボードというのは、サーフィン風のボードに乗り、水上スキーのようにモーターボートで引っ張られるスポーツで、斜めに構えて進むので、ちょうどスノーボードの水上版のような感じだ。
どういう事故であったかは分からないが、かなりハードなスポーツだし、ときに、曳航するボートのスクリューに巻き込まれる事故もあるという。
その後、彼は義足を着けて復帰し、事故のわずか2年後の2005年、16歳でウェイクボードのドイツ選手権に参加し、2位を獲得している。しかし、それからは陸上競技に転向し、2009年、身障者のスポーツ大会であるIWAS世界競技大会のジュニア部門において、走り幅跳びで金メダル、100メートル走で5位、200メートル走で6位を獲得。
同年の身障者の世界選手権(ワールドカップ)では、やはり走り幅跳びで2位、その翌年には、IWASで走り幅跳びと200メートルで金メダル、100メートルでも銀メダルと、次々と記録を更新し続けた。
この時の走り幅跳びの記録が6.75メートルで、身障者のヨーロッパ新記録。その2年後には、7.09メートルと世界記録を出した。
一番華やかなキャリアは、2012年のロンドンでのパラリンピックでの活躍で、幅跳びで、自己の世界記録を26センチも上回る7.35メートルを打ち立てて金メダル。しかし彼はその新記録さえ、すぐ翌年に、7.54メートルの記録であっという間に塗り替えてしまった。
こうなると、すでに身障者ではない普通の選手と互角に戦える記録であるから、今回の大会出場となり、その結果、さらに去年の最高記録を70センチも伸ばした8.24メートルで1位をさらうということになったのであった。
道具を使うスポーツには不公平がある?
走り幅跳びというスポーツの歴史は古く、古代ギリシャより行われていた。ただ、初めて8メートルを超える記録を出したのはアメリカ人、ジェシー・オーエンスで、1935年のベルリンオリンピックのときだった。