週刊NY生活 2014年4月5日484号

思い出される『ガロ』の時代 

 みなさん、こんにちは。先週は休刊でしたが、その間にえらいことが起こりました。本紙で「東京便り」の連載を8年余り91回も続けてくださったイラストレーターの安西水丸さんが3月19日、脳出血で、神奈川県鎌倉市内で執筆中に倒れ帰らぬ人となったことをここに改めて読者の皆様にご報告し、ご本人のご冥福をお祈りしたいと思います。

 私が安西氏の作品と出会ったのは1974年、高校3年生の冬でした。小学校5年の時から自宅で定期購読していた月刊漫画『ガロ』に登場したその作品『青の時代』は、そのなんとも優しい線と詩のような絵柄に「漫画も描くスポーツ少年」だった私の心を大きく揺さぶりました。

安西さん(右)と筆者

 憧れだけでお近づきになることすら考えたことのなかった私に、その作品の出会いから30年以上もたって、NYチェルシーのセーラム画廊で個展をされた夫人の岸田ますみさんの取材で初めて安西さんご本人にお目にかかることができました。

 レストランで、割り箸の袋の裏に「これですよね」って私が描いた小西のボン(勝手にそう呼んでいた少年のキャラクター)に、「いやこうでしょ」と彼が描いた顔が、連載のロゴになっています。上の少年の顔です。

 連載が始まり、いつも原稿はファクスで届きました。手書き原稿を編集部で打ち込み、それを東京の青山のアトリエにファクスするのがだいたいNYの土曜日の午前10時ごろ。東京の深夜11時とか冬時間なら午前零時です。すぐに手直しの手書きのファクスが戻ってきます。

 こちらもすぐに直して送ると、向うからまたすぐ返事がきます。毎回東京とNYとでファクスの原稿直しのキャッチボールが4往復から5往復します。組み込みのレイアウトの関係で、最後に半端な行の空きができたりすると、うまく文字で埋めてくれます。

いつも手書きの直しがファクスで入った原稿

 一昨年秋に帰国した際、青山のアトリエに1時間ばかりお邪魔しました。お忙しいのに歓迎してくださいました。もうお会いすることができないことが未だに信じられません。

 本紙では、来週号から3週にわたり、これまでの過去の連載から3編を選んで追悼特集掲載いたします。

 安西さんは、まだ、何度も後ろを振り返りながら、うつむいたり、上を見上げたりしながら天国への階段をトボトボと上っているに違いありません。

 「もう戻れないということが信じられないというか、これからどうなっていくのかということが、じつに心配というか。振り向いたら、ぼくのいたとこがまだ遠くに見えるんですけどね。ではまた、って言えないのがとても残念です」というファクスがいまにも音をたてて入って来そうな気がします。

(本紙発行人/三浦良一)

週刊NY生活・本紙記事の無断転載を禁じます。JBpressでは週刊NY生活の許可を得て転載しています)