最近の衆参の予算委員会を聞いていて、一味も二味も違っているなあと唸らせるのは石原慎太郎議員の質疑である。日本国家の在り様、生き様に関わる認識から問題を抉り出そうとしているからであろう。

 「一部の白痴的売国的メディアがどこかの国の意向を借りてキャンキャン言っているが・・・」「日本を牛耳っている売国的売名的バカ新聞・・・」など厳しい物言いで、誹謗中傷や差別語ではないかと思われる用語も使った語り口で総理に問い、かつ語りかける姿勢が、他の議員では出来ない重みを感じさせる。

「A級」戦犯は存在しない

 質問と言うよりも歴史と時勢を踏まえながらの自説開陳は、国家の名誉をいかにして守るかを訴えてやまない。ペーパーは手元に置かれているがほとんど見ずに語り続ける熱意に、委員会は寂として声なしである。

 内容的には横田基地の管制と日米共用の提案や東京裁判史観批判、さらには首相の靖国参拝肯定など繰り返しも多いが、それは議員が国家主権にかかわる基本問題と考えているからにほかならない。

 そうした中で2月12日(2014年)午前の衆院予算委員会で、議員は「A級戦犯というクラシファイ(分類)に歴史的な時間的な虚構があることを思い出してほしい」と述べた。

 その理由として東条英機被告の弁護人であった清瀬一郎氏が弁護団を代表して裁判の管轄権について質問したが、ウェッブ裁判長は答えないまま裁判を進めたことを指摘した。

 また、ポツダム宣言を受諾した当時、戦争犯罪という概念の中に「平和に対する罪」、すなわち「戦争を計画し、準備し、実行した罪」というものは、国際法にも先進国の法律にもなかった。世界の文明国が理解している戦争犯罪人の定義にA級というのはなかった。あり得ないのを裁くことには合法性がないという主張をぶつけたのである。

 このように、法的根拠のない裁判でA級戦犯にされ、しかも絞首刑にされた人たちが合祀されている靖国神社を首相が参拝することを批判するのはそもそもおかしいという論理構成である。

 ダグラス・マッカーサーは帰国後の上院軍事外交小委で、宣誓した上で「日本が戦ったのは主として安全保障のためであった」と証言していることからも、侵略戦争などではなく、相手に強いられ致し方なく自衛として戦った戦争で、戦犯などに問われる謂われはないという主張なのだ。

 確かに、A級というと「犯罪の格付け」みたいに思われてしまう。しかし「極東国際軍事裁判所条例」ではA級とは書いていない。