豚汁がまだ「おふくろの味」ではなかった時代

ルーツは鹿児島の郷土料理?

2014.03.14(Fri)澁川 祐子

味噌は大陸の発酵食材から

 あらかじめ断わっておくと、味噌汁と肉という組み合わせ自体は、さほど新しいものではない。

 1643(寛永20)年に刊行された、江戸時代初期の代表的な料理書『料理物語』(著者不明)には<汁之部>という章があり、吸い物から味噌汁までさまざまな汁物が紹介されている。そのなかによもぎ汁や人参汁などにまじって、鹿汁や狸汁といった獣肉を使った味噌仕立ての汁も見られる。

 ここで簡単に味噌の歴史にも触れておこう。味噌のルーツは一説に、古代中国の「醤(ひしお)」だと言われている。「醤」は、大豆に麹、塩を加えて発酵させたものだ。これが飛鳥時代に中国もしくは朝鮮半島から日本に伝わったとされる。

 一方、紀元前の縄文時代にも野生のどんぐりの実を使った味噌らしき発酵食品があったという。そうした独自の発酵食の文化が大陸の影響を受けながら、日本ならではの味噌の味を育んでいったのではないかと言われている。

 奈良時代になると、現在に近い味噌が登場する。701(大宝元)年に発せられた大宝律令では、大膳職に「末醤」という大豆の発酵食品の名が記されている。ただ、当時の味噌は豆の粒が残ったもので、おかずやなめ味噌として上流階級に珍重されていた。

 現在のように濾した味噌が登場するのは、鎌倉時代のこと。禅宗の僧らによってすり鉢やすりこぎが持ち込まれ、粒の味噌を濾した「濾し味噌」が作られるようになる。水に溶けやすい濾し味噌の登場によって、味噌汁もこの時期に誕生する。

 戦国時代には、各地の武将が兵糧として味噌づくりを奨励し、味噌の生産が飛躍的に伸びていった。伊達正宗と仙台味噌、徳川家康と東海地方の豆味噌、武田信玄と信州味噌といったように、名将と味噌の名産地とには、深いゆかりがある。

 こうして江戸時代ともなると、味噌屋も登場し、庶民の食卓に味噌が広まり、その調理法も様々に発展していった。

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