OECD(経済協力開発機構)が、このたび初めて、いつもの子供の学力テストではなく、大人の学力テストを行った。24カ国の産業国の16歳から65歳が対象だ。

 その結果が、去る10月8日に発表されたのだが、それによると、ドイツ人の大人の学力が全くトップクラスではなく、読解力においても、簡単な計算においても、ごく中庸であることが判明した。

 ドイツ人はショックを受けているが、私にしてみれば、当たり前。一般のドイツ人の学力は、私が普段感じることだけを取ってみても、日本人と比べるとかなり貧弱だ。

 テストされたのは、高度な知識の有無ではなく、ごく基礎的な内容だ。第1次世界大戦がなぜ始まったかとか、なぜ月には上弦と下弦があるかなどという難しいことは問われない。温度計を読めるかどうか、そして、その温度より20度下がると何度になるかというような、中学1年生程度(あるいはそれ以下)のものだ。

 ただ、今回のこの問題の場合、答えがマイナスの温度になったので(例えば、17.5度から20度下がるとマイナス2.5度)、間違う人が増えた。日本の読者は信じてくれないと思うが、ドイツ人には、負の数字、分数、小数点以下の計算、そして%が分からない人が少なくない。もちろん、子供ではなく、大人の話だ。

 ちなみに、今回のテストで上位を独占したのが、国語も算数も日本とフィンランド。要するに、一般的日本人の学力が高いということだが、これも私にしてみれば当然の結果だ。

宅配便の複雑なシステムを維持できる日本人の学力レベル

 いつも書いていることだが、日本は義務教育の質が良く、したがって国民の、昔の寺子屋でいう「読み、書き、そろばん」という基礎知識のレベルが揃っている。つまり、学力レベルの最低線が抜群に高い。

 良い国家を運営する上での最大の利点、かつ、必要不可欠な要素は、超優秀な人が何人いるかではなく、国民の学力レベルの底辺がいかに高いかだと、私は常々思っているので、私の考えが正しいなら、日本は大変恵まれたスタート地点にいるということである。

 そもそも、国民の学力水準が低い国では、民主主義はうまく機能しない。民主主義は数が勝負なので、烏合の衆の意見が通ってしまうと都合が悪いだけでなく、多数決の力を借りて、皆で積極的にとんでもない指導者を選ぶ可能性もある。良い民主主義の前提は、国民に考える力があることだ。

 また、国民の学力水準が低ければ、社会にロスが多くなる。社会というのは分業で、高度な社会ほど複雑な分業になっているが、分業の末端にいる人たちの能力が低いと、システム全体がスムーズに動かない。

 日本の宅配便は全世界に誇れる高度なシステムだが、彼らが、お客の、「いくらお客様は神様と言っても、こんなことをまで」と思うほどの過度な要求に対応できるのは、社内の規律が厳しいからだけではない。従事している人全員の質が揃っているからだ。