週刊NY生活 2013年10月19日463号
サダコ鶴の兄、雅弘さん
水没戦艦アリゾナ 生存の乗組員と対面
「原爆投下は間違いだった」と言えば、「リメンバー・パールハーバー」。つき返されるこの一言に返す言葉がいままで見つからなかった。
「日米両国が味わった傷を互いに癒やし合いたい」。そう語るのは佐々木禎子(サダコ)さんの遺族。禎子さんは2歳のとき広島で被爆し、12歳で亡くなった。この少女の折った千羽鶴の話は海外の子供たちにも知られている。
遺族に残されたわずかな折鶴を世界各地に寄贈しようと思い立ったのは禎子さんの兄、佐々木雅弘さん(72)。
「死が近づいても、周りの家族を思いやって折鶴を折り続けた妹、禎子の精神を世界に広め、戦争やテロで傷ついた人たちを慰めたい」
そんな思いから、これまでにニューヨークの9・11追悼センター、オーストリアのヨーロッパ平和博物館、ハワイの真珠湾記念館にサダコ鶴を寄贈してきた。
真珠湾への寄贈の橋渡し役を果たしたのは、当時、原爆投下を命令したトルーマン大統領の孫、クリフトン・ダニエルさん(56)だ。
昨年、寄贈されたサダコ鶴の特別展示ケースを作成するためハワイ各地で募金活動が行われ、今年の9月21日(国際平和デー)に真珠湾で除幕式が執り行われた。出席者は約500人。日本から禎子さんの兄、雅弘さんら遺族が式典に駆けつけ、謝辞を述べた。
式典には真珠湾攻撃で水没した戦艦アリゾナの乗船員ローレン・ブルーナーさん(92)ら生存者3人も参列。
ブルーナーさんは壇上で「私も禎子さんも共に戦争の恐怖を体験しました。これは私の心からの願いです。本日の祝典と禎子さんのご家族からの贈り物を通して、将来、真珠湾と戦艦アリゾナ記念館を訪れる人たちに、この同じ共有された(平和への)思いを持って帰っていただきたいのです」と語った。
敵・味方の立場を超え、癒やし合っている戦争体験者らが存在する事実を一般市民である私たちも受け入れる時期が来ているといえよう。
「平和な世の中を望む」と言いながら、過去の遺恨にこだわり、平和が可能であることを心の底から信じていないのは私たち一般市民のほうなのかもしれない。
将来、「リメンバー・パールハーバー」と言う人に出くわしたら、どのような言葉をかければいいのか、禎子さんの兄とブルーナーさんが教えてくれたような気がする。サダコ鶴の寄贈は拙著『奇跡はつばさに乗って』(講談社)で紹介している。
(寄稿・源 和子)
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