9月の中旬に、学会や報道・実務関係の方々による恒例の“草の根”訪露団に参加させて頂いた。1週間ほどモスクワに滞在し、今年も政治や経済の分野でロシアの専門家たちと意見交換を行い、彼の国のインテリ層の見方や考え方を改めて確認する機会を得た。

 多くの話題が中国に関係したものであったことは、昨年までと変わりはない。長大な国境を接する相手には、そこに異常がなくても観察の目を緩めなどしてはいない。中国との異常が消え去っていないのに、その問題が何となく風化しつつあるような日本とは大きな違いだ。

米国に対する呆れ、諦め、侮蔑

赤の広場を照らす壮麗な光のショー

今年9月、モスクワで開催された国際軍事音楽フェスティバルの花火〔AFPBB News

 しかし、今年はそれに並んで、米露関係へも話が多々及んだ。そうなるのも当然だろう。9月27日にシリアの化学兵器廃絶に関する国連安保理の決議が出るまで、米露は外交交渉の場で極度の神経戦を演じていた。

 米国が“決められない民主主義”の財政問題でこの問題から一時離れることになったものの、それに片がついたなら、またぞろ中東問題がホットになるのかもしれない。

 米国にしてみれば、国家安全保障局(NSA)のエドワード・スノーデン元局員の亡命騒ぎでロシアにカリカリきているところに、シリア問題でもそのロシアに鼻面を引き回されたようなものである。

 ロシアがシリアから化学兵器廃絶への同意を取りつけ、それに基づき米国は軍事行動取り止めに追い込まれた。その屈辱感や怒りは想像に余りある。

 それをメディアが「ロシア外交の勝利」と持て囃していた時期に、我々とロシアの専門家との面談が行われたのだが、総じて彼らからはそうしたメディアの報道に同調する高揚感は見て取れなかった。

 むしろ、米国の無茶で利口とはおよそ言えないやり方には、もうこれ以上つき合ってはいられない、といった呆れ、諦め、侮蔑のニュアンスを感じたものだ。

 米露の対立とはよく知られているように、バッシャール・アル=アサド政権を武力によってでも打倒すべしと米国が主張し、ロシアがこれに反対し、あくまで外交で問題を解決に当るべし、と頑張った、という構図である。

 今回日本側の一員として同行された、米国政治が専門の研究者の方は、この対立が、「内政不干渉」というものへの米露の見解の相違からもきている点を指摘されていた。