筆者自身は、男性の性や性的欲望に関しては何とも言えない。というか、よく分からない。ビデオ映像や写真はともかく、三頭身の幼児のマンガ絵で性処理をする男性たちは、何だか悲哀に満ちている。
この連載でも、「取引される少女たち」や「カラダを売る少年たち」などで触れてきたが、男性の欲望は、性交の対象が監禁され脅迫されクスリを飲まされ、心身ともズタズタにされた少女であろうと、見知らぬ若い少年に自分のモノを吸わせて一度に数万のカネを散財しようとも、それでもその肉欲はとどまるところを知らない――ということは本当に事実なのか。人間の性は、これほどまでに粗野で悲しく、みじめなものなのか。
性教育の実践

性の本質がどういうものであるかはともかく、それを社会がどう上手にコントロールし、人間社会を人間社会たらしめていくのかが現代社会で問われている。
スウェーデン社会が実践しようとしていることは、性とセックスの正しい知識の教育だ。
スウェーデンでの性教育は、1955年以来必須科目となっており、現時点では生物学で教えられている。政府は2011年、この科目が地理、数学、家庭科、英語など他の授業で教えることができるように、1000万クローナの予算を追加注入した。
またスウェーデン・セクシュアリティ教育協会は映画「セックスの地図」を製作し、教育現場に回覧している*8。
言うまでもなく、セックスすることは、レイプすることと同一ではない。
社会で日々再生産される、性やセックスに対する「暴力的で、汚い、恥ずかしい、カネで取引される、隠蔽すべきもの」といった偏見に十分に対抗していけるだけの物量をもって、セックスとは「2人の人の性愛に基づいて営まれる行為」であり、この結果として子どもができ、これについて社会的に責任を果たしていかなければならないことなのだ、という至極まっとうなことを正統的に子どもに伝えていくということは、今の社会の現状に対する1つの回答だろう。
そしてこういった地道な努力は、世界の若者たちが、何の偏見を持たれることなく正当に日本のマンガやアニメを楽しむ権利を守っていくことにもつながるのではないかと思っている。