1960年6月15日、安保反対のシュプレヒコールが国会を包囲する中、デモ隊と機動隊との激しい衝突で1人の女子学生がその若い命を失った。東大文学部生・樺美智子。

尊い命を失った樺美智子、でも共産党は抗議行動に出なかった

 当時、参議院議員会館で会議を行っていた安保改定阻止国民会議はその報を受け、警視庁への抗議行動が提起されたが、会議の一員である共産党はそれに反対した。

 「トロツキストの跳ね上がり分子がやったこと」と一顧だにしようとしない共産党に、泣きながら抗議する人物がいた。

 集中連載第3回の今回は、1960年1月16日の岸訪米阻止羽田闘争、4月26日の安保改定阻止国民会議第15次統一行動(装甲車のバリケードを乗り越え国会への突入を図る)、6月15日、18日の様子が語られる。動画は篠原氏、小島氏が語る6月15日。(編集部、第1回・あの時若者は燃えていた第2回・共産党では革命できない

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座談会参加者: 小島弘
1932年生。明治大学卒。57年全学連第10回大会より全学連副委員長。60年安保闘争当時は、全学連中央執行委員及び書記局共闘部長。その後、新自由クラブ事務局長を経て、現在は世界平和研究所参与。

古賀康正
1931年生。東京大学卒。東大中央委員会議長等を歴任し、ブント創立の主要メンバーの1人。卒業後は国際協力事業団、岩手大学教授を経て97年に退官。

篠原浩一郎
1938年生。九州大学卒。全学連中央執行委員。60年安保当時は社共同(社会主義学生同盟)委員長。卒業後、機械メーカー等を経て、現在はNPO法人のBHNテレコム支援協議会常務理事。

司会
森川友義  早稲田大学国際教養学部教授。 『60年安保 6人の証言』編著者。

最終ページに60年安保闘争に関わる年表があります。随時、ご参照下さい
60年安保オーラルヒストリー(
その1)(その2)(その3)(その4)(最終回

森川 60年安保の佳境に入る前に、ほかに大きな動きがありましたか?

国会再突入の危険があると警察が逮捕状

小島 その前にあれがあるでしょ。12月10日頃、逮捕状が出たやつ。

篠原 12・10というのがね。

小島 清丈(シミタケ、清水丈夫)と葉山(岳夫)に逮捕状が出てたんですが、東大に篭城して。当時の警察は三井(脩)*1だな。公安一課長で、中曽根内閣の時には警察庁長官になった人。

篠原 その直前から私は東京に出てきているんですね。10日の前に。何日だったかは覚えてないけど、11・27終わった後にね。

 確か三井が、全学連が不法な国会デモを計画していると、それをやめさせるとかなんかで逮捕しようとしたんじゃないですかね。それで12・10に。

小島 もう1回国会に行こうって話になってた。

*1=当時の公安一課長。後に第10代警察庁長官になる。その後、(財)日本道路交通情報センター理事長ほか。