極左冒険主義からの方針転換を決定した「六全協」(日本共産党第6回全国協議会、前回参照)は、共産党から多くの離党者、転向者を出す1つのきっかけとなった。

第2次砂川闘争の勝利が学生運動に火をつけた

 以後、大衆運動に対する牽引力を失っていく共産党とは裏腹に、反共産党、あるいは共産党内部においては反中央執行部の性格を濃く帯びるにしたがってエネルギーを高めていったのが、全学連を中心とする学生運動だった。

 「学生さんのお遊び」とも見なされていた学生運動が、大衆運動の中で1つの勢力として認められる転換点となったのが、第2次砂川闘争である。この闘争の勝利がもたらした高揚感が、のちの安保闘争へとつながっていく。

 集中連載第2回の今回は、1956年の第2次砂川闘争から、国会「侵入」を果たした1959年の「11・27」までが語られる。動画では小島氏が砂川闘争のエピソードを語る。(編集部)

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座談会参加者: 小島弘
1932年生。明治大学卒。57年全学連第10回大会より全学連副委員長。60年安保闘争当時は、全学連中央執行委員及び書記局共闘部長。その後、新自由クラブ事務局長を経て、現在は世界平和研究所参与。

古賀康正
1931年生。東京大学卒。東大中央委員会議長等を歴任し、ブント創立の主要メンバーの1人。卒業後は国際協力事業団、岩手大学教授を経て97年に退官。

篠原浩一郎
1938年生。九州大学卒。全学連中央執行委員。60年安保当時は社共同(社会主義学生同盟)委員長。卒業後、機械メーカー等を経て、現在はNPO法人のBHNテレコム支援協議会常務理事。

司会
森川友義  早稲田大学国際教養学部教授。 『60年安保 6人の証言』編著者。

最終ページに60年安保闘争に関わる年表があります。随時、ご参照下さい
60年安保オーラルヒストリー(
その1)(その2)(その3)(その4)(最終回

砂川の英雄となった森田実氏

森川 1956年春に、国立大学の授業料値上げ反対闘争でまず火を吹くわけですね。

篠原 そう、1956年の春。

小島 教育二法案反対が5月。それが全国に広まった。その次に砂川だ。

森川 第2次砂川闘争ですね。第1次砂川闘争は前年にありますが、こぢんまりしたものでした。第2次砂川闘争は「砂川の英雄」森田実さん(現在、政治評論家)が活躍された闘争として有名です。いわゆる森田派の小島さん、そのあたりの話をぜひ。

小島 森田実が一番頑張った時で、我々は前年には参加していませんでしたけれども、砂川の反対同盟の人たちがとにかく盛り上げたいと。総評に頼んだけど、総評があまり動かない。

 高野実*1なんですよ、後ろでやっていたのが。森田が高野実と清水幾太郎*2に呼ばれて行って、それで「よっしゃやろう」って話になって始めたんです。これが確かね、夏前後の話じゃないかな。それでもう9月の頭に砂川ですからね。

古賀 地元の行動隊長は青木さん。

小島 青木市五郎さん。僕らもあんなに盛り上がるとは思っていなかった。砂川の中学校に毎日寝泊まりして。

*1=我が国の労働運動家で、元総評事務局長。ジャーナリストの高野孟氏は長男。
*2=当時は学習院大学教授。わが国の社会学者、著述家。