60年安保闘争は「反共産党」「反ソビエト」運動としての側面も持っていた。むしろ、それがゆえに先鋭化した。だがその一方で、批判しているはずのその轍を踏んでいる自分たちの姿に気づくことにもなる。

共産主義の中から生まれた反共、反ソの動き

 「真の共産主義」を目指す運動に意味はなかったのか。ある面でその方法論を踏襲した以後の学生運動、新左翼活動への影響はどう考えられるのか。

 「連合赤軍事件とかは、60年安保闘争が終わって分派闘争が始まった時に、暴力で解決するというようなことが始まったことに起因しているかもしれません」「前衛が革命をやるという考え方の間違いが、ああいうふうな形で出ていった。60年安保が影響を与えているのは間違いないんですね」(篠原氏)

 集中連載オーラルヒストリー最終回、岸退陣に動く戦後財界の思惑と、共産主義運動の中から生まれた「反共産党」「反ソビエト」の意味について語られる。動画は3氏がそれぞれに語る「反共産党」の思い。(編集部)

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座談会参加者: 小島弘
1932年生。明治大学卒。57年全学連第10回大会より全学連副委員長。60年安保闘争当時は、全学連中央執行委員及び書記局共闘部長。その後、新自由クラブ事務局長を経て、現在は世界平和研究所参与。

古賀康正
1931年生。東京大学卒。東大中央委員会議長等を歴任し、ブント創立の主要メンバーの1人。卒業後は国際協力事業団、岩手大学教授を経て97年に退官。

篠原浩一郎
1938年生。九州大学卒。全学連中央執行委員。60年安保当時は社共同(社会主義学生同盟)委員長。卒業後、機械メーカー等を経て、現在はNPO法人のBHNテレコム支援協議会常務理事。

司会
森川友義  早稲田大学国際教養学部教授。 『60年安保 6人の証言』編著者。

最終ページに60年安保闘争に関わる年表があります。随時、ご参照下さい
60年安保オーラルヒストリー(その1)(その2)(その3)(その4)(最終回

小沢一郎の言う「普通の国」にしなかったという意義

森川 現在では大学が大衆化したことで、「層」を形成することが不可能になったということでしょうか。

古賀 今は、みんな腹いっぱい食っているからね。僕が大学入ったのは1954年だけども、その頃はまだみんな腹減っていたものね。食うっていうことに一生懸命だったものね。何がうまいとかではなくて、とにかく腹に何か入れなくては腹が減って仕方がないと。

篠原 古賀さんが言われたほかにも、60年安保の意義があると思うのです。自分の考えは端的に言うと、小沢一郎さんが言う「普通の国」にしなかったという役割を果たしたのではないかという点です。

 軍備は持っているが日本の将来の中心は経済専門で行く、というような政治路線を日本が採るのに、少なからず貢献したと評価できるんじゃないかと思いますね。戦争放棄という憲法の規定を遵守していくということを、あの時言ったわけだし。「普通の国」に対するアンチテーゼを投げつけた。