経営力がまぶしい日本の市町村50選(6)

 昨日の『世界が注目する岡山県西粟倉村の林業』に続き、岡山県の西粟倉村をお送りする。この村の取り組みが面白いのは、林業を再生しているのが、都会からやって来たIターン組であることだ。若い人たちが日本の将来を憂い、立ち上がったのである。日本の若者も捨てたものではない。

 しかし、林業を再生すると言っても簡単にはいかない。最大の問題は、地域に強く根づいてしまった「林業なんかとっくに終わっている」という固定観念だった。また、都会者が何しに来たんだという、日本だけでなく世界のどこにでもある強い抵抗とも戦わなければならなかった。

 「村の大切なお金を成功するとは思えない事業に使っている場合ではない。そんなもの、カネをドブに捨てるようなもんだ。それよりもっと福祉を充実させ、道路を直せ」というわけである。

 そのような意見が別に悪いわけではない。民主主義の日本では出てきて当然である。しかし、そういう抵抗勢力に打ち勝てなければ、新しいことができないこともまた事実。中国やシンガポールのようにはいかないのだ。

 西粟倉村の取り組みが面白いのは、林業を再生しようという若者たちが、前村長たちと協議して、政治の介入が起きにくくするような仕組みをまず作り上げてしまったことである。

 選挙で村長が代わり議員が代わっても、簡単には新しい事業に手が出せないように、事業は村が生み出すが育てるのは完全な民間企業に任せるという仕組みを作った。西粟倉村の林業再生が軌道に乗った最大の要因は恐らくここにある。

 詳しくは、その仕組みを作った森の学校・牧大介さんの以下のインタビュー記事でどうぞ。 

年収を250万円に下げ取り組んだ林業コミュニティーが西粟倉村への道に

西粟倉・森の学校 代表取締役の牧大介さん
京都大学大学院農学研究科修了後、銀行系シンクタンク、アミタ持続可能経済研究所、トビムシを経て現職

川嶋 まずは牧さんと西粟倉村の関わりについて、これまでの経緯を教えてください。

 西粟倉村は2004年に市町村合併の流れに乗らないことを決めて、総務省の地域再生マネージャー制度を使うことにしたんですね。2004年から3年間、外部の専門家のアドバイスを仰いで地域を再生しようということです。

 このとき再生マネージャーチームの一角を担うという形で総務省から推薦されたのが、アミタという会社でした。

川嶋 アミタグループは持続可能社会を目指すことをビジョンに掲げていますね。熊野英介会長(当時は社長)にはJBpressでも以前インタビューをしたことがあります(『ポスト工業化社会のかたち「森林酪農」』)。信念のある方ですよね。

 僕は2005年に三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)からアミタに転職していたのですが、西粟倉村の地域再生マネージャー3年目の2006年、「あとは牧君の方でやって」と熊野会長からパスが来て、担当することになりました。それが始まりです。