「トヨタのクルマなら、間違いない」──。この「信仰」は今も日本人の中に根強く浸透している、と思う。同時に、「日本車は世界の中でも優秀だ」という信仰も。
でも、何が「間違いなく」て、何が「優秀」なのか、そう聞かれて明快に答えられる人がどれだけいるだろうか。きっと、ごく少ないはずだ。
確かに「(日本車の中でも)トヨタを買っておけば、安心して使える」という時代はあった。このコラムでも何度か触れてきたように「製造品質」を高めることに多くのエネルギーと知恵を結集してきた成果が製品に結実した。そういう時期があった、ということだ。今振り返っても、そこに注ぎ込まれた先人たちの知的、肉体的エネルギーには頭が下がる。
しかし、その時代も含めて、トヨタ自動車の製品が、さらには日本のメーカーの製品が、自動車としての基本的な資質において優れていたか、と言えば、残念ながらそれぞれの時代の中で世界最良のレベルにまで到達した例はごくわずかしかない。
つまり、その時代時代の技術的バックグラウンドや社会の要求などを織り込みつつ、最良の「移動空間」を創出する、という知的作業が行われ、それが現実に操り、走り、使う中で実感できるだけの製品となったか、という「物差し」を当てた時の話である。
日本の自動車産業が世界に「追い付き」、製造品質や、買いたい仕様が待たずにすぐ手に入るとか、装備品が充実しているなどの顧客対応の緻密さなどで各国・地域に浸透していった。私が自動車雑誌の駆け出し編集者として真新しいクルマに触れられるようになったのは、まさにそうした上昇から拡大へ、という時代。
その頃から数えれば、ほぼ30年(もう、そんなになるのか・・・)、延べ何千台かのクルマたちを味見し、対話し、観察してきたわけだが、その内容を振り返ると、世界の自動車を、特定の分野とはいえどもリードし得る存在が生まれた、と実感したのは、1989年の「スカイラインGT-R(BNR32型)」だけだったのではないか。
初代セルシオは、日本ならではの異質な「高級車」だった
同じ年に初代「セルシオ/レクサスLS」も誕生している。これも確かに世界の上級車マーケットに多大な影響を与えることになる。ただ、それは「自動車に求められる上質さ」よりも、決してプロフェッショナルではない顧客にも初見で分かりやすい特質を造り込んだ「トヨタ流の高性能車」だった。
簡単に言えば、市街地を転がし始めた時、まず「音が静か」で、路面の目地などを踏んだ時のショックが柔らかい。しかし路面が荒れると、その静かさや柔らかさは急に変質する。もちろん細部の造りも丁寧だし、初期故障も少ない。ただ私にとっては「路面と触れ合って走っている感触」を消しすぎていて「操る実感」が希薄、マン=マシン系たる自動車としては異様な存在、と評価した。
一方で、それまで各国で「高級車」を造っていたメーカーの人々からは、個々の機能部品が大衆車と同質のもので、部分的な高機能化や精度改善などで上級車市場へと踏み出してきたことが、驚きをもって受け止められた。