俳優の緒形拳さんが十月五日に亡くなった。享年七十一歳、戒名・天照院普遍日拳居士。私が彼に初めて会ったのは私の檀家寺である法華宗獅子吼会(ほっけしゅう・ししくかい)。まだ、無名で二十歳にもなっていなかったはずで、頭はボサボサ、どこにでも居る青年だった。私は高校生で、ともに同寺の青年団に属して参詣に来る檀信徒の下足取りの奉仕をしていた。

 彼は寡黙だったが「学校はどう?」とか「どんな本を読んでるの」「将来何になるの」などと時々笑顔で話しかけてきた。新聞記者になろうと思う、と答えると「そう、僕は役者でね。新国劇をやろうと思っている」と言っていた。多分、辰己柳太郎の付人をしていたのかもしれない。

 その後、姿が見えなくなり、こちらも大学やら就職やらで気が紛れて彼の存在を忘れていたが、NHKの大河ドラマ「太閤記」の主役に抜擢されてびっくり。あれよあれよという間に大スターになっていった。私も地方回りをして東京に戻り、テレビ朝日の楽屋で再会した。

 その時、彼はホームドラマに出演中だったが「ふやけちゃうからホームドラマは好きじゃないんだ。でも仕事だからね」と釈明していた。そしてこう言った。「役者なんてさ、生きる上ではどうってことないよ。つまりなくたっていいものだよ芝居なんか。それよりお百姓は大事だよね。食べるものを作るんだから。食べなきゃ人間は死んじゃうんだから。海野さんの仕事はどうかな、必要だろうね、まあ」と―。

故・緒形拳 氏 (提供:時事)

 このひと言は緒形拳さんにとっても私にとってもこれ以後ずっと引きづるテーマになっていったと思う。

 生きる上で自分のしていることが真に必要かどうか常に自分に問いかける姿勢である。

 彼の演技、役者としての哲学がすべてこの一点にかかっていたといえなくもない。鬼気迫る如く役になり切った、というか、なり切り過ぎたような壮絶な姿、極悪非道の役にみる表現しにくい絶体絶命の境地。そこには人生を突き詰め、人間の本性を抉り出し血を吐くような限界の演技があったと私は思う。

 自分の演ずる役や芝居がお百姓さんに匹敵する、人間としてどうしても無くてはならぬものにしたい。生きる上で緒形拳の演技がなんとしても必要だし、影響を与えざるをえないものまで高めたい、そうした強い思いが一生を貫いていたものと私には思えて仕方ない。

 私自身、ニュースを報ずるにしても読者に誠を感じさせる取材努力をしなくてはいけないし、新聞がなくては、私の扱うニュースがなくては読者が困る、そこまでいかなければ本物ではない、といつも反省したものだ。論説委員になってからは自分の書く記事が多くの読者の声なき声を代弁し、少しでも問題の解決、改善につながるものにならなくては意味がなく、独りよがりや自己満足、中立の名の下に最後はありきたりの表現でお茶を濁すことがあってはいけないと心に念じたものだ。

 それもこれも緒形拳さんの「生きる上でボクらの商売なんてのは無くたっていいんだよね」との自嘲気味ともとれるあのひと言がずっと尾を引いたからだ。

 その後、健康法を取材して自宅の鶴見のそばの坂道をかけ登ってもらった。新聞には大きく載ったが、「こんな(企画は)もう止めようよ」とご機嫌斜めだった。「ふやけちゃう」と言われそうだった。

 人生とは何か、人間とは何か、命とは何かをつねに頭に抱いて生きたとみられる緒形拳さん。時々お寺の片隅に座って瞑想に耽ったり、法話を聞いたり、獅子吼会の導師(法華宗大本山鷲山寺貫首、同宗管長 大塚日正大僧正)に何通もおもいを書き綴ったり、書を描いたりとにかく「考える人」だったと思う。

 同じ獅子吼会で営まれた密葬で津川雅彦さんら芸能人は「彼は死ぬ最後の瞬間まで生きた」「最後の十分間はカッと目を見開いていた」「彼のような死に方を是非私もしたい」との言葉を残していた。

 拳さんのご冥福を改めてお祈りしたい。