カツオを食べる達人だった日本の漁師

進化を遂げる「カツオ食」(前篇)

2012.09.21(Fri)漆原 次郎

初鰹を食べて長寿を祈った江戸の町人

 日本人はカツオを様々な方法で食してきた。

 代表的なものはカツオ節にして出汁をとるというものだ。カツオを保存して食べるには、乾燥させることが1つの手だった。日本では4世紀以前、すでに、カツオをそのまま干したり、煮てから干したりして食べていたと言われる。

 室町時代になると、この干したカツオを焙って乾かすという工程が加えられた。それが、いまのカツオ節の製法になっていく。大坂の大商人や京都の上流階級が、煮汁にカツオ節を入れて旨味を出したことで、出汁にカツオ節を使うという日本食にとって重要な方法を編み出したのである。

 また、出汁の誕生以前から、日本人は調味料としてカツオを用いてきた。カツオの煮汁を煮詰めていき、うまみを固形に凝縮させたのである。これを「竪魚煎汁(かたうおいおり)」と呼んだ。

 もちろん、鮮度が落ちやすい魚ではあるが、獲れたてであれば冷蔵技術がなくとも生で食べることができた。だが、鎌倉時代末期の歌人だった兼好法師は『徒然草』の中で、鎌倉の海で獲れ、生で食されたであろうカツオを「最近もてはやされるようになった魚」として綴っている。

 <鎌倉の海に、鰹という魚は、かの境には双なきものにて、このごろもてはやすものなり>

 兼好によれば、鎌倉の年寄りには「この魚は私たちが若かりし頃は、身分の高い人の前に出されることはなかった。頭は下人も食べず、切って捨てたもの」と言っていた者もいたようだ。兼好の時代にカツオの生食観が大きく変わったのかもしれない。

カツオ節やたたきにするのは代表的なカツオの食べ方

 江戸時代に入っても、生のカツオは“流行りもの”としてもてはやされた。その年の“初鰹”にありつくことが、江戸の町人にとっての贅沢な流行となった。食べると寿命が75日延びるとも言われ、縁起物となった。相模湾や三浦半島で獲れたカツオが、当時の高速船で日本橋の魚河岸まで運ばれていたのである。松尾芭蕉は「鎌倉を生きて出でけむ初鰹」と詠み、小林一茶は「鰹一本で長屋のさわぎかな」と詠んだ。

 「たたき」という代表的な食べ方もある。皮付きのまま鱗は削ぎ落とし、表面に軽く火が通るくらいに焙ってから氷や水で冷やす。そして、たれと薬味をたっぷりかけて刺身として食べる。

 この、カツオのたたきにも誕生をめぐっての逸話のような説がある。江戸時代中期に土佐(現在の高知県)で生のカツオを食べたことにより大規模な食中毒事故が起きた。そこで、土佐藩主だった山内一豊が庶民にカツオの生食を禁じたという。だが、刺身の味を忘れられない庶民は、カツオの表面だけを焙って食べるようにした。毒消しのためニンニクやネギも添えた。これがカツオのたたきの始まりとも言われている。

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