カツオの旬というと、山口素堂が詠んだ「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」から新緑の頃が思い浮かばれる。だが、旬は春だけでない。夏に太平洋を北上したカツオが、脂の乗った体で再び南下してくるのだ。この戻りガツオが獲れるのは、これからの秋の季節だ。

 日本近海の黒潮に乗って泳ぐカツオは、日本人にとって昔からの食料であり続けてきた。カツオ節から抽出するエキスは出汁という“日本の味”にもなった。まさに、カツオは日本の食文化と切り離せない魚と言える。

 そこで、今回は、日本人がカツオをどのように食してきたかをテーマに、その昔と今に迫っていくことにしたい。

 前篇では、主に歴史の部分に焦点を当てる。カツオの食べ方の種類の豊富さには驚かされるばかりだ。後篇では、現代に焦点を当て、カツオの食材としての利用法開発に挑んだ静岡県水産技術試験所上席研究員の平塚聖一さんに話を聞く。食材としてのカツオの価値を高めるための技術開発が進んでいるのだ。

カツオは「頑な」で「堅い」魚

 カツオは漢字で「鰹」と書く。それよりも前、日本人はカツオを「頑魚(かたくなうお)」あるいは「堅魚(かたうお)」と呼んでいた。そう呼びはじめたのには諸説があるが、そこからカツオ食と日本人の出合いや歴史を垣間見ることができる。

水揚げされたカツオ

 『日本書紀』によると、景行天皇53(西暦124)年、天皇が安房に巡幸したところ、信天翁(あほうどり)が鳴いてうるさいため、家来に捕まえるよう命じたという。船を出して信天翁を捕まえようとしたが叶わなかった家来から、代わりに差し出されたのは魚だった。家来が弓で魚を追い払おうとしても魚は“頑な”に離れなかったため、天皇はこの美味なる魚を「頑魚(かたくなうお)」と名付けたという。

 こんないわれもある。カツオは鮮度が落ちやすい。そのため、乾燥させたり、火を通して煮たりする。するとカツオは堅くなってしまう。そこで人びとはこの魚を「堅魚」と呼ぶようになったという。

 その後、文字どおり、魚へんに「堅」と書いて、これを「カツオ」と呼ぶようになった。じつは「鰹」という字は本来、ウナギなどの魚を指すのに使われていた。「鰹」がカツオを示す字として定着したのは、その語感が人びとにしっくりきたからだろう。