6月から7月にかけてローマとパリにそれぞれ3週間ずつ滞在した。実は以前からイタリアとフランスの映画・演劇人たちとの共同プロジェクトの話がいくつか持ち上がっていたのだ。

 その打ち合わせに参加するというのが主な目的だったが、もちろん僕のプロジェクト“Across the K-Universe”の取材も兼ねた。

 この連載も第10回という節目を迎える完璧なタイミングで、日本と米国以外の“K-Universe”を初めて取材して歩くことができたのは、ひとえにこの連載をいつも楽しみに読んでいただいている読者の皆様のおかげだと思っている。

 これからも様々な節目を迎えるたびに、ベースのロサンゼルスを飛び出して、世界中に広がるコリアン・コミュニティーを取材していくつもりだ。(ちなみにいつでもサポーター、スポンサー、応援団などなんでも大歓迎です!)

 まずはこの場をお借りして、今回の旅先で出会い、話をしながら、人生の短いけれども貴重な時間と興味深い経験を僕とシェアしてくれたすべての人々に感謝したい。

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 ローマとは縁がある。

 大学時代に生まれて初めて独りで海外旅行をしたときの行き先がローマだった。

世界中からやって来た旅行者で賑わうトレビの泉。投げ入れられるコインの数だけ人々の願いが込められている(著者撮影、以下同)

 ぶらりと入ったコリアン・レストランで「どうしておまえは韓国人だというのに韓国語が話せないのか」と言われ、落ち込みながらプルコギを食べたことを覚えている。

 その後も、大学を休学してローマの一般人家庭にホームステイしながら半年間語学学校に通っていたこともある。

 その時のホストファミリー「ドネッリ家」のひとり息子のアレッサンドロにはとてもお世話になった。彼のヴェスパの後ろに乗せてもらいローマ中を走りまわったものだった。

 お互い歳が近いこともあり、あれから10年以上経った今でもfacebookなどでコミュニケーションを取り合いながら、いい友人関係を続けている。

 卒業して俳優活動を始めてからも、イタリア語が話せたおかげでいくつかの楽しい、不思議な出会いにも恵まれた。