日本の製造業の凋落が叫ばれる中、イノベーションの条件がよく議論される。再び世界市場で競争力を取り戻すために、イノベーションの実現は確かに大きな課題だ。

 しかし同時に、今こそ足元を見つめ直すことも必要なのではないか。品質を磨き上げ、生産性をとことん高めるという日本製造業の本来の強さが失われては元も子もない。

 今回、紹介するのは、この20年で売り上げを10倍に伸ばした町工場の話である。

 その町工場は、画期的な新製品やサービスを生み出したわけではない。天才的な技術者もいなければ、胸のすくような一発逆転もなかった。26歳の若さで入社した創業者の孫が様々な「師」に出会って経営を学び、じっくりと時間をかけて改革を積み重ねた成果である。

「教科書通り」の取り組みで会社が変身

ミヤジマの鍛造シャフト。かつては「バルブ弁棒」一筋だったが、現在は建設機械、工作機械、鉄道車両など様々な分野で使用され、販路が大きく広がっている

 会社の名をミヤジマ(滋賀県犬上郡多賀町)という。機械部品のシャフトを専門に作る鍛造メーカーだ。パートや実習生を入れて社員数が約30人という典型的な町工場である。

 社長は宮嶋誠一郎氏。大学を出てトヨタグループの豊田工機(現ジェイテクト)に入社し、産業用ロボットの設計・開発に従事した。しかし、1989年に父親(2代目社長、現在は会長)に呼び戻され、宮嶋弁棒鍛造所(当時の社名)に入社した。

 鍛造シャフトは次のように作る。まず、材料となる金属棒を高温で熱する。柔らかくなった金属棒を端から強い力でドカンと叩き、棒の中間または先端を膨らませてツバを出す。

熱した金属棒を叩いて成形するボードドロップハンマー

 ミヤジマはこの鍛造シャフトを「宮嶋式弁棒鍛造」という方式で作る。複数の標準金型を組み合わせて様々な形のシャフトを鍛造する方法だ。創業者が考案し、特許を取得した。

 ミヤジマならではの独自の鍛造加工法であるが、製品が単純な部品であることに変わりはない。おまけに、宮嶋氏が入社してからほどなくしてバブルが弾け、日本経済は「失われた10年」に突入していったのである。

 そうした状況の中で、宮嶋氏は様々な改革に着手する。それは新規顧客を開拓し、品質を向上させ、生産性を高めるというごく当たり前の取り組みだった。

 赤字続きで債務超過だった会社は次第に生まれ変わっていく。宮嶋氏が入社した時より社員は2倍以上に増え、1億数千万円だった売り上げは、2011年に約10倍の13億5000万円に達した。リーマン・ショック後の2009年をのぞいては一度も赤字に陥ることなく、2011年には9500万円の経常利益を出している。