モンゴルで新興富裕層増加、ラグジュアリー市場が拡大

モンゴルでは新興富裕層の増加に伴い、ラグジュアリー市場が拡大している(写真はウランバートルのルイ・ヴィトン店舗)〔AFPBB News〕

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 以前、紹介した記事でのルイ・ヴィトンをはじめ、地下資源開発によって落とされるお金を当て込んでか、ヨーロッパのブランド品を扱った高級品店の開店がモンゴルで相次いでいる。

 開店した当初、「モンゴルでこういったものが買えるのは(人口260万人のうちの)1000人ぐらい」という声も聞かれたが、いまやその数は何十倍にもなっているであろう。

 1990年代から比べれば、日本に来ることは大人のみならず、高校生や大学生にとっても、それほど大きなイベントではなくなった。中国からの旅行者ばかりが注目されているが、モンゴルからもパックツアーで日本へ観光に人々が来る時代になっているのである。

JENESYSの前身となった「21世紀のための友情計画」

 それでもこのような大規模な交流プログラムが政府によって発案され実行されているのは、なぜなのだろうか?

 このJENESYS以前、海外から人々を招聘し交流を行うというプログラムがなかったわけではない。

 1983年ASEAN歴訪の際に、中曽根康弘元総理がASEANの青年1万人を2000年までに我が国へ招聘することを約束したことから、外務省により作成された青年招聘事業「21世紀のための友情計画」 は、この前身と言うことができよう。

 青年招聘のプログラムによって1993年からモンゴルの青年も招聘された。このプログラムで招聘された35歳までのモンゴル青年は、毎年およそ10~20人であり、彼らは日本で1カ月近く過ごしたと記憶している。

 1993年とその次の年に行われた第1回と第2回の招聘で招かれたのは教師であり、日本の学校を訪問し、様々なところで教師たちと交流することができ、大成功であった。

 しかし、3年目、招かれた若手の国家公務員に関しては、日本側の将来を担うような、同格の国家公務員との交流をする機会は現れなかったことを残念に思ったという感想を、参加者からその後聞くことができた。

 今の状況が想像もつかない20年近く前の状況においては、貧しいモンゴルと交流しても何の足しにもならない、おそらく国家機関などで同格の部署の人々からすれば、そのような扱いであったように思えてならない。

 その後しばらく交流事業に関わっていなかったが、事業自体はその後も続けられたとも聞いている。