突然ですが、建設的批判と誹謗中傷の違いって何でしょう?

 ご存じの通り、僕は雑誌やインターネット上にいくつか連載を持っています。人前で演奏し、音楽作品を発表し、あるいはCDも出し本も出版しています。いろいろな人が様々な立場でコメントや批評を書いて下さるのですが、その中には、残念なことですが誹謗や中傷も混ざっている。

 建設的な批判は大いにそこから学びたいですが、誹謗中傷はいちいち付き合っていたらキリがありませんから、スパッとスルーさせていただくのですが、その瞬間的な見分け方を僕なりに持っています。それは何か(?)というところから、お話を始めましょう。

「具体性」と「対案」

 例えば、誰かの書いたものに対して(あるいは僕、ということにしておきましょう)「こいつの文章は本当にひどい」とか「高校生レベル」といった表記があったとします。これは「批判」か「中傷」か、を判定してみましょう。

 「文章がひどい」と言うとき、どこがどうひどいのか、具体的な指摘があるかどうか(?)は、1つの判断の分かれ目です。ここで具体的に、

 「文章がひどい」とあるべきところを「文相がひどい」など、ここに誤字がある、などと具体的な指摘ができるか?

 あるいは、放射性物質に関連する話をしていたとしましょうか、その中でどこが具体的にどう「高校生レベル」で、それが「大学以上」ではないと、やはり具体的に指摘できるか?

 これが最初の判断基準「具体性の有無」です。

 具体性のないコメントは「感想」で「批判」にはなっていない。で、この「感想」ばかり言っていると、人から信用してもらえなくなる可能性がある、と自覚しておくのは大事なことと思います。

 いま仮に、指摘が具体的であったとしましょう。

 「文相がひどい」とあるけれど「文相」は「文章」の間違いで「相」を「章」に直さなければいけない。

 と、具体的な指摘、添削、対案などが詳述されていれば、それに沿って直すことができますね?

 つまり「建設的」だということになります。

 ここまであれば、間違いなく「建設的批判」と言うことができます。