食事中だ!肉をむさぼるドイツのトラ

田中元首相は虎の尾を踏んだ?〔AFPBB News〕

残り618文字

 田中氏は1972年7月に首相に就任するや、9月には初訪中を実現し、懸案だった日中国交正常化を米国の了解も得ずに成し遂げた。そればかりではない。海外での石油開発を国家プロジェクトとして進め、エネルギー供給で当時絶大な力を持っていた米系メジャー(国際石油資本)から独立を図ろうとした。

 それが米国の虎の尾を踏んだ、という説はロッキード事件が発覚した頃からささやかれている。OB氏の解説によれば、その米国陰謀説が官邸周辺ではより真実味をもって語り継がれていた、ということなのだろう。

基地提供の見返りに、巨大市場を獲得した日本

 戦後の日米関係を振り返れば、こうした自民党有力政治家たちの対応も不思議なことではない。何しろ焼け野原状態からの日本の経済復興は、米国抜きには考えられなかった。もちろん軍事的には日米安全保障条約で日本は米国に基地を提供し、共産主義からの極東の防波堤になった。

 その代わりに供与されたのが米国という広大な市場であり、1ドル=360円という有利な為替レートだった。日本は米国にせっせと輸出し、高度経済成長を遂げ、先進国の仲間入りをした。それからすれば、「対等な日米関係」は建前に過ぎず、実態は米国優位であるのは明らかだった。

 だからこそ、日米経済交渉といっても結末は常に決まっていた。「日本が勝つことはあり得ない。どこまで負けないか、その交渉だった。打ち上げの酒も意気は上がらず、旨かったことは一度もない」と経済官僚OBは言った。

 しかも、米国側の粗雑な論理を突いてもっと攻め込もうとしても、あるところで官邸周辺から「そろそろ手仕舞いを」というサインが出た、という。「日米交渉といっても相手は米国ではなく、結局は官邸周辺との戦いだった」と同氏は振り返った。