1980年代から90年代にかけて日米経済交渉の最前線に立っていた官僚OBから、つい最近こんな話を聞いた。

 「あのころ厳しい交渉を進めながら、政治家を信じていいのかどうか、本当に考えてしまった」。というのも、交渉の責任者であるはずの閣僚が、陰に回ると驚くような発言をしていたからだ、という。

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自民党政権時代、官邸は常に米政権の意向を気にしていた〔AFPBB News

 例えば交渉の場で日米両国の主張が激しく対立し、妥協点がなかなか見つからないまま中断したような場合である。交渉の席を離れ、米国側閣僚と2人だけになったりすると、日本の閣僚が「あの席では厳しいことを言ったが、あれは私の本意ではない」などと弁解がましく話しかけたりするのだという。

 そんな話が漏れ伝わって聞こえてくると、この政治家は国益をどう考えているのか、不信感でいっぱいになった、とそのOB氏は言った。

 米国に弱腰だったのは特定の政治家だけではない。かつて別の経済官僚OBからも同じような話を聞いたことがある。「自民党政権の時代は、有力政治家は誰でも米政権の意向を非常に気にしていた。先方の気に障るようなことはできるだけ避ける。その筆頭が(首相)官邸だった」

虎の尾を踏んだ田中首相の教訓

 自民党時代、政治家がそれほどまでに米国の意向を気にしたのはなぜか。

 「あれほど権勢を誇った田中角栄首相が退陣に追い込まれたのは、米国ににらまれたからだ、と言う説が永田町では根強く信じられていたからだ」というのが冒頭のOB氏の解説だ。